食べちゃダメ

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食べちゃダメ

 人の心の複雑さは兎に角、涙食らいが卒業式についてきたからには何かあるのだろうとは「期待」をしていたが、それは受付をすませ、体育館に案内されたときにすぐにわかった。  各クラスごとに卒業生の列の後ろに来賓の席が用意されていた。息子が通う学校は定時制で、しかも息子は4年で卒業するコースを選んだ。卒業までこぎつけたクラスメイトの数は普通高校のそれとは比較にならないほどに少ない。私たち夫婦の前には外国人と思しき母親がすでに座っていた。おそらくフィリピンあたりの東南アジア出身で、各クラスの父兄席の先頭にそうした姿が何人か見られた。  ああ、まずはこれだと私は確信した。海外から日本に渡り住み、家庭を持って高校卒業まで子供を育てた母親の気持ちは、私たち夫婦のそれとは桁が違う思いがあるのだろう。式が始まると彼女がハンドバッグからハンカチを取り出し、涙を拭いているのが後ろからすぐにわかったし、涙食らいはいつものように私におねだりをしてきた。 「食べちゃダメ」  私はそこですっかりと安心をしてしまった。卒業証書の授与が終わり、在校生からの送辞が読まれた。実によくできた、そしてありふれた送辞であるが、新型コロナウイルスの影響で学校行事がほとんどできなかった先輩たちを気遣う内容と、自分たちもがんばるという文句には心痛むものがあったが、それで涙するには、このウイルスとの戦いはあまりにも長すぎたのかもしれない。  次に卒業生の答辞、二人の生徒が呼ばれた。何でだろうと思ったが壇上に二人が上がってすぐに理解した。この学校は定時制であり、社会人がもう一度学びなおす場でもある。一般性との答辞は先と同じで私の予測の範疇内の内容であったが、私と同じか、もしかしたら年上かもしれない彼女の言葉の一つ一つが私の心に刺さった。  たどたどしいと言っては失礼に当たるだろうが、彼女は大勢の前で自分が作った文章を人前で読んだことなどないのだろう。その緊張感が座りっぱなしでやや集中力が落ちてきた私の神経を逆撫で、彼女の言葉一つ一つをしっかりと聞いてしまう。今の私にあのような奢ることなき下向きな姿勢で、しっかりと言葉を発することはできるだろうか。  これはやばい。  そして追い討ちをかけるように前列に座っていたもう一人の女性が何度もうなずきながら涙を流す。どうやら答辞を読んでいる生徒の身内の方、姉妹なのかどうかはわからないが、家族の支えがあって無事に卒業ができましたという言葉に嗚咽を漏らすのであれば、近しい親族に違いがなかった。  もらい泣きという言葉がある。人が泣いている姿を見て、同調して一緒に泣いてしまう現象だ。会場の雰囲気が一気に変わった。答辞の内容が支えてくれた先生に対する感謝の思いのくだりになると、教職員の方々も目を赤くしているのが遠くからでもわかった。 「涙、涙、涙、イッパイ、食ベテイイ?」  こっちはこっちで自分が涙するのを必死に堪えているのになんてデリカシーがない奴なんだと思いつつ、涙食らいの嗅覚には恐れ入るしかなかった。 「もし俺が泣いたら、それは食べてもいい。あとはダメ」  涙食らいは大きな一つ目を潤ませながら私を見つめる。しかしどうやら私が涙を堪えきると踏んだようで、会場中を飛び回り、涙を流している一人ひとりを物色し、はしゃいでいる。涙食らいはおねだりをしてこないことからすると、ここで流れている涙はみんな同じ涙なのだろう。  それは美しくもなく、悲しくもなく、辛くも、痛くもない。  感謝という気持ちを尊く思う人の、やさしくも切ない涙なのだろう。  決して涙食らいに食べさせてはいけない、大事な、大事な涙。  卒業式にきてよかったと、私はこの巡り合わせに感謝をした。  帰り道、妻と二人でラーメンをすすりながら、その話をした。 「まさか、あれにやられるとは思わなかったよね」  粗暴な言葉だが、その通りだった。  卒業式の間もった天気も、そのころには崩れてしまった。 「この雨を降らしたのはあの答辞だな」 「そうかもね」  それは晴れた空よりも正直な心の現われに思えてならなかった。
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