1.裏岸

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1.裏岸

「今日はとんかつにしよう」  スーパーの惣菜売場を通り過ぎながら、突然思い立った宝良は、そうしようと頷いた。確か油はあったはず。豚肉とキャベツか――青果は出入口の方だと踵を返した。 「あ、お前……転校生じゃん!」  指を差され、思わずびくり。目の前にいた人物の顔をよく見ると、覚えがある気がした。一見、チャラっとした印象の茶髪の彼は確か、同じクラスにいた―― 「ごめん、誰だっけ?」 「ハハッ、まあ、仕方ねーよな。話したわけじゃないし。オレは室井木葉(むろいこのは)だ。よろしくな! お前も買い物か?」 「ああ……よろしく。今日の夕飯はとんかつにしようと思って」 「とんかつ! いいねぇ……ん、もしかしてお前が作るの?」 「ああ、俺ひとりだし」 「ひとり?」 「今はひとりで暮らしてる。母さんは入院してるから」  室井は大袈裟に仰け反った。「マジで!?」と大声を上げ、周囲から睨まれ慌てて口を抑える。 「お前、転校してきたばかりなのに……!」 「いや、そもそも母さんをこっちの病院に移すから引っ越して来たんだ。父さんは仕事で来れないから……」 「そうなのか……色々とあるんだな。じゃあ、親父さんとは離れて暮らしてるのか……」 「同じ県内だし、会おうと思えば会える距離だよ」 「でも一人じゃ大変だろ? 何かあったら言えよ。できる限りはするぜ!」  びしっと親指を立てる室井に、宝良はありがとうと微笑んだ。  室井は、クラスでも一際賑やかに笑っていた。明るい性格なのだろう。少し接しただけで、見ていて気持ちがいいやつだとわかる。 「肉のコーナー向こうだけど」  室井が店の奥の方を指差した。 「キャベツを取りに戻ろうと思って」 「なるほど。キャベツは大事だよな!」 「室井は何を買いに来たんだ?」 「オレは飲み物買いに来ただけだよ。コンビニより安いからな」  言いながら、二人は並んで青果コーナーへ足を向ける。結構大きめのキャベツが一玉99円。本日のお買い得品として、段ボール箱が積まれていた。芯の切り口も綺麗な色で、新鮮なようだ。  宝良は、ひとつ手に取って重さを確認すると、カゴに優しく置いた。あとは肉だと、体の向きを変える。  ドン――誰かとぶつかった。 「すみません! 大丈夫ですか?」  慌てて謝ると、ぎろり、睨む目。お団子頭の、小柄な少女だった。同じ高校の制服を着ている。 「あれ、梅じゃん~。お前も買い物か?」  室井がひらひらと手を振ると、少女の目つきが一層鋭くなった。 「梅って呼ぶなハゲ!」 「ハゲてはねーだろ!」  小柄なせいか、中学生くらいにも見えたが、どうやら同い年らしい。クラスも同じだろうか。睨み合う二人の間に、宝良はそっと手を差し入れる。 「こんな所でケンカはよくないぞ。えっと、君は……梅さん?」 「梅って呼ぶなって、聞こえなかった?」 「スミマセン……」 「ブフォッ、お、お前、もしかしてマイペース君?」  室井がおかしそうに腹を抱えた。少女が苛立ったように、室井の足をかなり強めに踏みつける。跳び上がり、痛みに悶える室井を横目に、少女は目を鋭くさせたまま宝良を見上げた。 「村崎梅(むらさきうめ)。……梅って呼ぶなとは言ったけど。別に、嫌なわけじゃない」  どっち? と、思わず宝良は心の中で投げかける。村崎はずっと眉間に皺を寄せていて、不機嫌そうだ。訊ねても、ますます皺を濃くさせてしまうだけに思えた。気難しい子なのだろうか。 「そっか……よろしく、村崎さん。ぶつかってごめん」 「……いい。わざとじゃないみたいだから」 「ええー、オレにはいつもツンツンしてるくせに、転校生には優しいのなー。デレかよ……」  同じ所を踏みつけられ、室井は声なき悲鳴を上げた。いつもこんな調子なのだろうか。仲がいいのか、悪いのか――言ってもいいことなさそうなので黙っておく。  ふんと顔を背けた村崎が、店内を進んでいくと――それは、突如としてやって来た。こういう事があると誰もが知っている。けれど、自分の身に降りかかる日を常に考えているわけではない。  そう。大きな音と共に猛スピードで突っ込んできた車に、咄嗟に対処できる人間など多くはないのだ。  出入口の自動ドアを突き破ってきた小型トラックは、宝良のすぐ横を掠め、積み上げられた段ボール箱にぶつかった。ガラスが、物が、散乱する。トラックは果物が置かれていた平台に乗り上げ、それでも前に進もうとタイヤが空回っていた。  悲鳴が響き渡る中、宝良は自分の鼓動の音の渦に呑まれそうだった。冷静に、冷静に――頭の中で、落ち着けと繰り返す。  よくニュースになる光景だ。多くは、高齢ドライバーによるアクセルとブレーキの踏み間違え。飲酒運転の可能性もある。 「……っ、村崎!」  室井が焦ったような声を上げた。宝良もはっとする。トラックがいる辺りに、村崎がいたはず。室井の後を追いながら、宝良はちらりとトラックに目をやった。 「村崎、おい村崎!」  倒れていた村崎を抱き起こす室井――けれど、宝良の思考は彼女からトラックの運転席に奪われてしまった。  そこには、 「誰も……いない…………?」  人は乗っていなかった。運転席にも、助手席にも。  なぜ、このトラックは突っ込んできたのか。  車の故障? 考えられるだろうか。  ナンバープレートのない小型トラック――恐怖に彩られたこの空間を嘲笑うかのように、ハザードランプが点滅していた。
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