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「ここは……」
宝良は呟くと、きょろきょろと辺りを見渡した。
昨日、室井と一緒に村崎を送った道。何も変わったところはなく、昨日と同じように畑は続いていて、ビニールハウスとその前にはいちごの絵の看板が立っていた。
カァカァ、カラスが鳴いている。
「おい……村崎……。何なんだよ、心当たりって」
不安そうに、室井はしきりに辺りを警戒する。
村崎は、悩んでいるようだった。おそらく、言うべきかどうかを迷っている。
「………………」
「村崎さん?」
宝良が呼びかけると、村崎はふうと息を吐いた。
「……ここら辺って……出る……みたいなの」
「……出るって……もしかして幽霊?」
「ヒィッ! や、やめろよ……! そういうこと言うの!」
「私は見たことはない。でも……ここにくると……よく変な方向見てたりするから……」
「え? どういう……」
バサバサ――カラスが飛び立った。驚いたのか、室井が悲鳴を上げる。
「怖がりなんだな、室井は」
「う、うるせー! 怖がりじゃねーし! ビックリしただけだ!」
「……ねえ、なんか……変じゃない?」
村崎の声が僅かに震えた。
宝良と室井は、視線を辺りに巡らせる。
何か変――景色が変化したわけではない。けれど、何か違って見える。何がどう違うのかの説明はできないが、感覚的に違うように思えた。
くい――袖を引かれる。宝良が顔を向けると、室井が目を見開きながら一点を凝視していた。その表情は恐怖が色濃く出ている。
どくんと、心臓が高鳴って。唾を飲み、宝良は室井の視線の先を追う。
畑の中で、黒い人影が蠢いていた。昨夜見た、あの黒い影――。
「おいおいおい……何なんだよ……む、村崎、説明しろよ」
「知らないわよ……! 私だって……あんなの……!」
村崎が室井を睨んだ――次には、その表情は強張っていた。わなわなと震えながら、室井の後ろを指差す。
黒い影が、室井のすぐ後ろに立っていた。
「ひ、ひぁぁあああ!」
室井が悲鳴を上げながら走り出すと、釣られるように村崎も走り出した。宝良はしばらくその影を見つめ、二人の後を追った。
室井と村崎は夢中で走っているようだった。この場から逃げ出したい。ただそれだけで足を動かしていた。
宝良は走りながら、目を辺りに向ける。人がいない。車も通らない。確か、農作業をしている人がいたはずだ。一体どこに行ったのか。
走って、走って――室井の足がもつれた。派手に転んで、村崎と宝良は立ち止まる。
「……痛っ…………」
「大丈夫か、室井」
「なんなんだよ、なんなんだよあれぇ……」
「落ち着け、襲われたりはしてないだろ」
「お前何でそんな冷静なんだよ!」
起き上がった室井の目には涙が浮かんでいた。
「相当怖かったんだな……」
「痛くて出た涙だ!!」
強がる元気はあるらしい。宝良は少しだけ笑みを浮かべると、室井に手を差し出した。室井はむっとした表情を見せたが、袖で涙をぐしぐしと拭うと宝良の手を取った。
「やっぱり、人がいないな」
宝良はぐるりと周囲を見渡したが、やはり人の気配がない。あるのは、あの黒い影だけ。道路をうねうねと歩いている。一体、どのくらいあの影はいるのだろう。こちらを認識しているのだろうか。この意味わからない状況の中、襲ってくる様子はないのが幸いかもしれない。
ふう、と宝良は溜め息を吐いた。取りあえず、身の危険はない。それなら、と村崎に体を向けた。こんな事態になったのはなぜなのか――それを考えなければならない。
「村崎さんは、何で俺たちをあの場所に? 何か言ってたようだけど」
「……私は幽霊とか、そういうの見たことない。でも……あの場所に、そういうのが居ることは知ってる。それだけ」
「なんだよそれ……オレは聞いたことねーぞ……そもそも何でオレたちこんなことに……」
「まあ、思いつくことと言えば、昨日のスーパーでの事故だよな」
宝良は言いながら、誰も乗っていなかった小型トラックのことを頭に浮かべる。
ここに来る前、スーパーにも立ち寄ってみたが、業者が出入り口の修理しているだけで、特に変わった様子はなかった。あのトラックも、当然そこにはない。
「やっぱり呪いとか……? まさかオレたち、首塚に足を突っ込んだんじゃ……!」
「この場所は首塚には見えないし、スーパーもトラックもどんな関係が?」
「知るかよ! 実際オレたち変な場所にいるじゃん!」
まあ、確かに――景色そのものは、元いた所と変わらない。そこに居る者が違うだけで。
トラックは、畑の横に停めてあった。もちろん、あのトラックとは違うものだ。動き出す気配はない。
おかしな所に迷い込んだ……のだろうか。もし、入口があるのだとしたら。いちご狩りの看板がある、あの場所の可能性が高い。どういう意味か、村崎もあそこは出るのだと言っていた。なら、あそこまで行けば戻れるかもしれない。
宝良は身を翻す――いつの間にか、小型トラックがそこにあった。畑の横にあったものではない。スーパーに突っ込んできたあのトラックだ。
ブン――エンジン音が響く。宝良の脳裏に、ぐちゃぐちゃになったスーパーの出入口や商品が浮かんた。
「避けろ!!」
宝良が叫ぶ――と、同時にトラックはタイヤを空回りさせながら、勢いよく前進した。三人が何とか避けると、小型トラックは、停まっていたトラックにぶつかった。衝撃音が響き、煙が上がる。
「……な、な、なに……!」
声と体を震わせながら、室井は口をぱくぱくさせた。
突っ込んだ小型トラックの運転席が開く――どろり――黒い影が落ちる。スライムのように、ぐにゃぐにゃと動いたそれは、徐々に人の形に定まっていった。
明らかに、他の黒い影とは違った。明確な意志――殺意のようなものを感じた。びりびりと、全身に突き刺すような痛みが走る。
「逃げるぞ!」
宝良が声を荒らげる。それに押されるように、室井と村崎は走り出した。
後ろを気にしながら、宝良も二人の後に続く。
黒い影は、助手席から何かを引っ張り出すと、こちらを見た。顔がないのに、目が合った。
ひゅ、と息が詰まる。冷や汗が伝う。
「ユルサナイ……コロシタ、コロシタ……ォマエラが――――殺した」
背中にぴったりと貼り付いた低い声。
胃からせり上がる熱に、宝良は口を押さえた。
「うわぁぁああ!」
「いやぁっ!」
前を走っていた室井と村崎が悲鳴を上げた。
やばい――呑まれる――――
「動くなお前ら!!」
どこからか、怒声が聞こえた。
その次には、ダン、ダンと銃声が響く。
宝良は音に驚いて瞑った目を、ゆっくりと開いた。
地面に突っ伏している黒い影と、それを踏みつけて、銃口を向ける女性――
「……あ、明奈先生…………?」
鋭い目つきに、咥えた煙草。ゆるり、紫煙が広がった。
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