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紫煙をくゆらせ、銃を構える女性――担任の、矢後明奈。
突然のことに言葉を失う宝良たちを一瞥すると、うずくまる黒い影に一発、何の躊躇いもなく撃ち込んだ。
映画やドラマでしか聞いたことのない銃声は、腹の底に響くようで、宝良は数秒呼吸を忘れた。
黒い影はまだ少し、鈍く動いている。
「……あ、明奈先生…………なんで……」
室井がかすれ声で問う。
「明奈? お前ら明奈の知り合いか。いや、生徒か?」
「え……?」
「まったく、生者が来る所じゃないんだがな」
そう言いながら、明奈によく似た女性は、宝良たちをちょいちょいと手招いた。三人は顔を見合わせると、警戒しながらゆっくりと近づいていく。
「お前ら、コイツが見えるか?」
「コイツ……この黒い影のことですか」
「影……ね……。よく目を凝らしてみな」
ふー、と女性は煙を吐き出す。
目を凝らしてみろと言われても。宝良はぐっと目に力を入れてみたが、特に何も変わらない。
そうじゃない、と女性は三人の後ろに回ると、背中に手を当てた。
「いいか。お前らとコイツの間には膜がある。薄く、何層にもなってるんだ。だから認識がずれる。お前らがその認識を合わせろ。同じとこに立て」
言ってる意味がわからない――だが、不思議とそれができるような気がした。
宝良は改めて、その影を見つめる。認識のずれ。それが何かは理解できない。だが、そっち側に立つという意味は、何となくわかった気がしたのだ。
自分とこの黒い影の間には、膜がある。光が水で屈折して見え方が変わるように。確かにそこにあるものだと、認識する――黒い影が、ゆるりと揺らいだ。覆われていたものが溶けていくように。その姿は鮮明になっていく――。
「ひと……?」
男性がうずくまっていた。腕には小学校低学年くらいの男の子が抱かれている。男性は、男の子をぎゅっと抱きしめ、嗚咽を漏らしながら、涙を流して泣いていた。
「どういう……ことだよ……」
室井と村崎にも見えたようだった。狼狽えて、そわそわと落ち着きなく体が動く。
ふー、と女性がまた紫煙を吐き出した。
「コイツは事故で死んだようだな」
「……え? 死ん……だ……?」
「ああ」
「ひっ、ゆ、幽霊……!?」
「まあ、そうだな。残留思念ってやつ」
「残留思念……」
女性は泣いている男性の側でしゃがみ、手を当てた。
「オイ、なぜお前は泣いている?」
「ぅっ……ぐす……む、息子が……息子が病気で……急いでいたんだ……病院まで急いでいたんだ……! 急いでて、でもちゃんとルールは守った……! それなのに、信号無視したヤツが! それで……それで……うぅっ……!」
宝良は室井と目を合わせた。
断片的ではあるが、彼が何を言いたいのかは理解ができた。
息子を病院に運ぼうとしたところ、信号無視をした車と激突したのだろう。きっと、それが原因で――。
お前らが殺した――そう言いながら追いかけてきたが、それはきっと、信号無視をした者に対して言っていたのだろう。
宝良の胸に、やるせなさが押し寄せる。
女性が、泣いている男性から、腕の中にいる息子へ視線を移した。
「息子は死んだ。お前は、受け入れられなかったんだな」
「うぅ……違う……息子は……あの子は、死んでない……! 生きてる……そうだ、生きてるんだ!」
男性の顔つきが変わった。悲しみから狂気へと変貌していく。それは、どんどん膨れ上がり――
「馬鹿が。よく見ろ。テメー、息子の顔を忘れたのか」
女性の低く鋭い声が、狂気を縫い止める。
――お父さん。
小さく、囁くような声。
いつの間にか、女性の後ろに少年が立っていた。男性が抱きしめているはずの少年。
ふたりいる――? そう思ったのも一瞬。男性の腕の中にいた少年は、粒子になって消えていった。
男性は徐々に落ち着き、目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。我が子に駆け寄り、胸に抱くと、何度も何度も謝った。助けてやれなくてごめん、事故に遭わせてごめん、と。
少年は笑っていた。大丈夫だよ。そう優しく目を細めながら。
しばらくその様子を見守っていた宝良は、
「……あの」
と、煙を吐き出す女性にゆっくりと近づいた。ぎろり――鋭い眼差しに一瞬たじろぐ。それでも、ぐっと拳に力を入れて、真っ直ぐに女性を見据えた。
「あなたは何者ですか? 明奈先生を知っているようですけど……。この場所のこともご存知なら、教えてほしいんです」
「……私は明奈の祖母だ。この場所は……まあ、後で教えてやる」
そう言うと、女性は親子に目線を合わせるようにしゃがみ、何かを語りかける。
親子は温かい光に包まれ、穏やかな表情をしていた。
「…………祖母? 明奈先生の……?」
たっぷりの間の後、室井の悲鳴が空に響きわたった。
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