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episode.2
オレンジ色の淡い照明が、異様な雰囲気で向き合う二人の男女を照らし出す。
カーテンの隙間から見える外の世界は、街灯の明かりもない真っ暗闇だ。
豊かな自然に囲まれた湖のほとりに建つ石造りのこの古い屋敷は、深夜ともなればひっそりと静まり返り、野生の生命の息吹だけが微かに室内に聴こえてくる。
年月を感じさせる外観とは違い、内装は真新しく、クラシック調の家具で美しく統一されているのは、屋敷の主であるシーヴァの趣味だ。
シーヴァが腰掛ける天蓋付きのクイーンサイズベッドも、「お姫様気分を味わいたいの」という彼女の要望に応えてフィンが用意したものだ。
甘く仄かな香りが部屋中を満たし始めたことに、フィンは不快そうに眉を寄せた。
この場にいる二人だけが嗅ぎ分けることのできる、甘美で魅惑的な、本能を刺激する強い香り。
シーヴァの血の匂いが、濃密な香りとなって鼻腔を擽る。
「フィン、何をしているの。早くしなさい」
痺れを切らしたシーヴァが声を尖らせれば、相変わらず微動だにせずドアの前に立っていたフィンが、深い溜め息を吐き出して動き出す。
割れたグラスの破片を磨き抜かれた革靴で踏みしめ、ベッドに腰掛けるシーヴァの足元に跪いた。
「嫌そうな顔ね。お前が嫌がると私が喜ぶってこと、分かってる?」
「……嫌などと思っていませんよ。有難く頂戴いたします、シーヴァ様」
感情の込もらない静かな声でそう言うと、フィンは剥き出しとなったシーヴァの足を持ち上げ、つたい落ちる真っ赤な血に視線を落とした。
この鮮やかな赤だけが、己の渇きを癒せる唯一であるということに、今だに慣れない。
小さな足の先、親指と人差し指の間へと、フィンはゆっくりと舌を這わせる。垂れる血を掬い上げ、じんわりと口の中に広がる蜜の味を堪能する。
苦悩と屈辱に満ちた行為も、乾いた砂漠の中で得る一滴の雫には敵わない。
白い肌を滑り落ちた血液を追いかけるように、指の隙間から裏側、下腿を這い上がりながら丁寧に、隅々まで、血の道筋を濡れた舌で舐めとっていく。
少女の皮を被ったこの血の持ち主は、満足そうに妖艶な微笑を浮かべ、徐々に這い上がる熱を帯びた息遣いを見下ろした。
「いっつも冷静なお前の、欲に満ちたその瞳が好きよ」
シーヴァの両脚の間に割って入り、片方の膝裏を掴んで程よく肉付く滑らかな太腿の裏側をフィンの舌がなぞる。時折喰むようにそこに吸い付けば、見え隠れする鋭い牙がシーヴァの肌を掠め、堪らず彼女はふふっと笑い声を漏らした。
「フィン、だめよ。まだ、だめ」
自身の両脚の間にあるさらさらな金髪を優しく撫で、シーヴァは血の滲む右手を差し出した。
「まずは、こっち。綺麗にできたら、ご褒美をあげるわ」
頻りに太腿を舐めていたフィンが、シーヴァの言葉で顔を上げた。
いつものポーカーフェイスを僅かに崩して眉間に深い皺を刻み、余裕のない表情で息を荒げている。
彼の美しい灰色の瞳は本来の色を失い、血のように真っ赤に染まっていた。
「理性を保てるのは褒めてあげるけど、お前は今ぐらいの方が、可愛げがあっていいわよ」
「……少し、黙っていて頂けますか」
「生意気ね」
どこか楽しげに声を弾ませたシーヴァから視線を逸らし、差し出された手にフィンは口付ける。
爪を突き刺した手のひらの傷は既に消え去り、沸き出た血だけがべったりと付着している。その血を丹念に舐め取る従順な男を愛おしげに見つめたシーヴァは、じわじわと体の芯が熱を帯びていくことに愉悦し、頬を上気させた。
「意地を張るからそんなに飢えるのよ。欲しいと懇願すれば、気分次第でいつだってこうしてあげるのに」
赤い瞳が不服そうにシーヴァを一瞥し、指先に歯を当てる。今すぐにでも噛み付きたいという本能を最早隠す気もないフィンの様子に、シーヴァは妖しく目を細めた。
「欲しいって、言ってごらん。私の可愛い従僕」
艶かしい声で名前を呼ばれ、フィンは目を鋭く光らせる。
額に掛かる前髪の隙間から光る反抗的な赤い瞳は、彼の意思とは裏腹に、ただただシーヴァを喜ばせるだけだ。
「……ほんと、強情なんだから。もう我慢できないくせに」
唇の端を吊り上げ、シーヴァは目の前で跪いているフィンの腹部につま先を押し当て、焦らすようにそれをゆっくり下に滑らせた。高ぶる熱を足裏で刺激し、彼のオスの本能さえ暴き出す。
「いい子ね……お前のその意地に免じて、ご褒美をあげるわ」
言うなりネグリジェを肩からずらして肌を露出すると、フィンはすかさず立ち上がり、片膝をベッドに乗り上げた。
至近距離で飢えた獣のように呼吸を荒げるフィンを見上げたシーヴァは、きっちりと彼の首元で結ばれたネクタイを解き、しゅるっと音を立てて襟から抜き取る。ワイシャツのボタンを上からひとつ、ふたつと外していく途中で、ふっと甘い吐息を漏らした。
「フィン……がっつかないの」
シーヴァの長い銀色の髪を掻き分け、今にも噛み付きそうな勢いでフィンの舌が細い首を這い回る。纏わりつく舌と唾液が甘い痺れを呼び、シーヴァは全身を歓喜に震わせた。
もう我慢も限界なのだ。鮮やかな赤は渇く体を蝕んで、心まで浸食してしまう。
シーヴァはフィンの胸板に当てた両手を肩へと滑らせ、スーツの上着を脱がす。床に落ちた上着の音が、静かな室内にやけに大きく響いた。
穢れなど知るはずもないと言いたげな美しい少女の手で金髪を掻き抱き、フィンの耳元にそっと唇を寄せた。
「フィン、さあ……しっかり私も、気持ちよくして」
官能的な響きを含んで吐息混じりに囁いたのを合図に、鋭い牙がシーヴァの肌にぶつっ、と深く食い込み、真っ赤な鮮血が溢れ出す。全身の血を吸い上げられる感覚に恍惚とした笑みを浮かべたシーヴァは、フィンの首に腕を回して体を後ろに傾けた。
ギシッと大きく軋んだベッドに二人の体は沈み、ひとりでに消えた淡い照明が、夜の闇を呼び寄せた。
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