また明日

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 彼女の病室は東棟の三階にあった。無機質な足音が響くエントランスを抜け、冷えた空気が漂う階段を昇り、淡い光を反射するリノリウム張りの廊下を歩いていくと、突き当りに彼女の病室が見えてくる。  そっと扉を開けると、真白なベッドに横たわる彼女の姿が目に入った。  いつもより遅い面会時間。沈み始めた夕日が、空っぽの花瓶をオレンジ色に染め上げていた。  約束の時間に現れなかった僕を恨んでいるのか、彼女の表情はどこか不貞腐れたように唇が堅く結ばれていた。  起こしていいものか、僕は少し悩んだあと、鞄から小さなぬいぐるみを取り出し、彼女の枕元に静かに置いた。営業の仕事の合間に、ゲームセンターで手に入れた戦利品だ。剥き出しのカエル頭が特徴的な奇抜なデザインのキャラクター。彼女はそれを愛してやまない熱狂的なコレクターだった。そのキャラクターと僕の雰囲気がどことなく似ているから付き合うことにした、と交際を始めて一年後の記念日に打ち明けられて落ち込む僕を、けらけらと笑い飛ばしていた彼女の姿も、今は妙に懐かしく思える。  瞳を閉じたままの彼女に掛ける言葉は見つからない。  また明日がある。そう、自分に言い聞かせて、僕は病室を後にした。
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