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囚人は輸送される
ガラガラと馬車の揺れる音がする。
早朝から畑仕事に精を出す者にとってはやや珍しい出来事であった。
しかし、マァあの領主様たちがいれば安心かとすぐに気をそらした。
一方その馬車を操縦する者は、視線を前方に固定しながら斜めに顔を向け、乗客である囚人に声を掛けていた。
「そろそろ見えてきたぞぉ、あの立派な家が領主様の館だ」
「…なんで、アンタは、わざわざ罪人に 懇切丁寧に案内し て ンだよ…。アタシは観光しに来たわけじゃねぇンだけど」
粗末な囚人服に身を包み両手に手枷を嵌められた女は、立てた膝に肘を付き顔の支えにしていた。その目は淀み、口元は片方に引っ張られて歪んでおり、全身は擦り傷や打撲傷に火傷の痕などが点在している。
黒に赤茶の混じる頭髪には、乾いた血の粉末がフケのように浮いている。栄養失調故に何処もかしこも骨と皮ばかりで、操縦者の爺さんに負けず劣らずの小柄だ。
「ホッホッ、わしを脅そうにもその体じゃなぁ…安心せい、ここはもはや平和な街だ、お主が悪さをしようと早々に殺されることはねぇからなぁ」
「…はあぁ。平和ボケもここまで来るとこえぇよ爺さん。見るからにヨボヨボなんだから囚人輸送なんて仕事辞めろよ、くたばんのが早まるだけだぞ」
「ホッホッ…まだまだ現役じゃわい」
何だかんだと話が弾みながらも、馬車は畑を抜けて住宅地へ入り、遂には領主の館へ辿り着いた。
「ハンス殿、ジェリブ殿、おはようございます。囚人をお連れしましたので、通していただけますか」
囚人にヨボヨボと言われた操縦者の男は、丁寧な口調で門番に話しかけた。
噂通り、この街に住む者は技術者やその関係者などが多いのかもしれない、と囚人は思った。何故なら囚人の故郷では、礼儀作法など上に従うくらいしかなかったからだ。あったとしても、学び実践する機会などないのだから無駄だったろうが。
「ナムタの爺さん、相変わらずお元気そうですね!」
「おいジェリブ、爺さんはないだろう失礼な! すみませんナムタさん、後でよく言っておきますので」
「ホッホッ、構いませんよぉ、わしはもうただの操縦者ですからな、領主様たちも気になさらぬと思いますがねぇ」
「ありがとっナムタの爺さん!」
門番の二人はこの爺さんと仲が良いらしい、と囚人は内心呟いた。操縦者になる前は権力者だったんだろうか、とてもそうは思えない。ならばやはり、この街での上位者は貴族というよりも技術者なのだろう。
あちこちの傷が疼くなどもはやいつも通りだ。ということは、この息苦しさは自身の不安のせいか。忌々しげに奥歯を噛むと、馬車がまた低速で動き出した。考え事をしていたために体が後ろへ倒れ込む。
骨が浮き彫りの囚人は背中を馬車の床へ強かに打ち、顔を顰めた。不意をつかれれば流石に痛い。
その体勢のまま少し経つと、馬車が再び止まり後部の扉の鍵が空いた。ギィィと中途半端な音が立ち、視界に灰色がかった白の曇り空と兵士が映り込む。警戒しているようで、槍をこちらに向けている。
こんなガリガリにも武器を向けるのは下層で戦争が続いているからだろう。囚人の故郷は、下層の国だ。
ニヤリ、片方に口元を釣り上げ歯を見せる笑い方は、威嚇を表す。馬車の暗がりで顔色はよりおどろおどろしく、目に光が差し込むことで眼光は鋭い。抜き身の剣のようだった。
「大人しく付いてこい。さもなくば、…」
槍を握る手元が僅かに振動していた。それは武者震いか、或いは…
「連れて行けよ、領主のところへ」
手枷の鎖を薄い腹で受け止めながら、囚人は兵士らによって領主の元へ誘導された。
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