14 ふたりの相性

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14 ふたりの相性

 千冬(ちふゆ)と暮らし始めて一週間が経った、土曜日の十四時。  今日は(かける)瑞希(みずき)が千冬を見に来る日で、(りく)と千冬はふたりを待っていた。  光輝(みつき)との決別で気丈な六も落ち込んでいたが、何も言わず寄り添ってくれた千冬の支えもあり、四日経った今では自然に笑えるようになった。  電話で宣言した通り、昨日の午後に有給を取って、市役所へ離婚届を取りに行った。記入ができ次第、書留で送るつもりだ。  光輝は営業職で仕事に融通が利くから、時間を見つけて提出しに行くだろう。  ただ六は、最後まで別れを固辞していた光輝の態度が気になっている。数週間空けて、滞りなく受理されたのか確認に行く必要があると踏んでいた。 「瑞希ちゃんに会うの久しぶりだな~。超美人だから、千冬さんもびっくりすると思うよ」 「それは楽しみ。六は『瑞希ちゃん』が好きだったの?」  千冬がいじわるっぽい笑顔で六をからかった。 「ははっ、まさか! 初対面の時には既に翔と付き合ってたし、高嶺の花すぎて、オレなんかじゃとてもとても……」  六は瑞希の姿を思い出しながら、説明してみせた。  少女時代から抱き続けた「バレリーナになる」という夢を叶えるために、大学の構内でも時間を見つけてストレッチやポジションの練習に励むストイックな瑞希は、美麗な外見も相まってちょっとした有名人だった。美意識が高く、脚の筋肉を鍛えるために足元はいつもハイヒール。高いヒールを履きながらも羽が生えたような軽い足取りで歩く姿はさながら妖精のようで、男子学生の憧れの的だった。  オメガに生まれたことを卑屈に思うどころか、「オメガ特有の骨格がバレエに向いているのよ」と話してくれた、強くうつくしい女性。それが瑞希だ。  そんな瑞希が選んだ翔は、顔はそこそこイケメンで人当たりはいいが、悪く言えばそれ以上も以下もない。外見だけなら光輝とお似合いだと言われ続けていても、雑音に惑わされず一途に翔と交際を続けた彼女は、男女ともに高い好感度を誇っていた。 「瑞希ちゃんはそんな感じで――」  と、続けようとしたところで、チャイムの音が鳴った。  六は千冬に断ってからドアホンを操作し、ふたりをマンション内へ招いた。 「長谷川さん、初めまして。本郷(ほんごう)瑞希と申します。今日は急に伺って申し訳ないです……」 「いえいえ、とんでもない。ゆっくりして行ってくださいね」  ふわりとしたワンピースにバレエシューズを履いた瑞希は、恐縮した様子で千冬に頭を下げ、呆然と千冬を見つめる翔の脇腹を肘でつついた。 「こ、こんにちは、本郷翔です。……あの、長谷川さんって、先週の『白亜のパイオニア』で取り上げられていた方ですよね?」 「え?」  六から驚嘆の声が漏れた。  翔が言う『白亜のパイオニア』とは、あらゆるジャンルにおける新進気鋭の人物を紹介する、金曜日の二十三時から放送される三十分のテレビ番組だ。  紹介VTRの切り口が面白いので六も毎回見ているのだが、先週の金曜日は光輝に棄てられたばかりで、それどころではなかった。翔も先週のその時間は六と飲んでいたはずだから、録画を見たのだろう。  驚きの事実に、六は目を丸くして千冬を見た。  言い訳がましいが、千冬の経営する会社のホームページを見よう、見よう、と思って忘れていたのだ。 「見て下さったんですね、ありがとうございます」  突き刺さるような視線を受けながらも、千冬の応対はいつも通りの笑顔だった。 「――玄関だと冷えますから、どうぞ上がってください」  そう言ったあと千冬は瑞希をちらりと見たが、すぐに目を逸らし、客人をリビングへ案内した。  *** 「あの、お口に合うか分かりませんけど……。ここのバターサブレとっても好きなんです」  瑞希は千冬にフランス語のロゴが書かれた青い紙袋を手渡し、花が咲いたように笑ってみせた。 「気を使っていただかなくて良かったのに。でも、嬉しいです。ありがとうございます」  千冬も柔らかな笑顔で瑞希に微笑み返した。ふたりは波長が合ったようで、ふふ、と笑顔を交わしている。 「お茶を淹れますから座っていてくださいね」 「お邪魔じゃなければお手伝いします」 「いいから、いいから。オレが手伝うし、瑞希ちゃんはここで座ってて」  六は気を使って手伝おうとする瑞希の肩に手を置き、ソファまで連行した。 「ちょっと寒いから、膝にブランケット掛けといてね。ほら翔」 「おっと。りっくん、ありがとう」  六は畳んだブランケットを投げて渡し、千冬のいるキッチンへ向かった。  千冬が淹れたのはチョコレートフレーバーの紅茶に柿とレーズンのドライフルーツと林檎や梨の生フルーツを浸した、秋のフルーツティー。  それに瑞希が買ってきてくれたバターサブレと、千冬が昨晩から仕込んでいたウィークエンドシトロンを切って添えた。 「良い匂い。千冬さんはお茶を淹れる天才だなあ」 「お褒めの言葉ありがとう。さあ、お茶の時間だよ」  得意そうに笑った千冬は、大きなオーク材のトレイに一式を載せると、客人の元へ急いだ。  藍地に植物と動物が描かれた北欧製のカップにフルーツティーが注がれれば、部屋いっぱいに芳醇な香りが広がった。  六はお茶の入ったカップを配膳しながら、翔と昨日放送していたサッカーの試合の話で盛り上がっている。瑞希はカップを手に取り、仲の良いふたりを微笑ましそうに見守っていた。  ――その時、千冬が瑞希にそっと耳打ちをした。  瑞希はびっくりした顔で千冬を見ている。そんな瑞希に、千冬はひとさし指を唇に当て、いたずらっぽく微笑んでみせたのだった。  甘い香りのお茶と、おいしいお茶請けのお陰だろうか。千冬と本郷夫妻の会話も弾んでいる。     会ってみるまでは「『千冬さん』のこと吟味するからね!」と息巻いていた翔だったが、そんなことは忘れたらしく、すっかり千冬に気を許していた。 「長谷川さんが淹れてくださったお茶、ほんとうにおいしかったです。流石ですね」 「……千冬さんって、お茶に携わる仕事をしてるんだよね?」 「えっ。りっくん、一緒に住んでるのに知らないの……?」 「……」  訳知り顔で首肯していた翔に怪訝な顔で訊かれ、図星を突かれた六は渋い顔をした。 「お茶の仕事で間違いない、かな? あとで詳しく教えてあげるね」 「――ねえ、翔。そろそろお暇しない?」  頃合いを見計らって瑞希が口を挟んだので、時計を見てみると、もう十六時を過ぎていた。 「あらあら、楽しい時間は過ぎるのが早いね~」  翔は楽しそうに笑っていたが、瑞希の進言に従いコートを羽織った。 「おいしいお茶とケーキ、ごちそうさまでした。六、またね。……光輝は私がぶん殴っといてあげるから」 「瑞希ちゃん、頼もしいなあ」  拳を握って険しい顔をした瑞希に、六は歯を見せて笑った。  一見クールビューティに見える瑞希だが、実はとても情に篤い。六は昔から彼女のそんな一面が、とても好きなのだ。 「長谷川さん、ありがとうございました。りっくん、またメッセージ送るから飲みに行こうね!」 「はいはい。……お前はもうちょっと瑞希ちゃんを支えてあげた方がいいんじゃねえの」 「何それー。りっくんに言われなくても支えるし!」  瑞希はふたりのやりとりを聞いて、くすくす笑っている。まだ話し足りなそうな翔だったが、長話は良くないと瑞希がたしなめ、大人しく帰って行った。  本郷夫妻が帰ったリビングで、六と千冬は片付けながら会話をしていた。 「千冬さん、気付いてたよね? 瑞希ちゃんと何話してたの?」 「このお茶はデカフェだから、安心して飲んでいいよ、って」 「ああ、なるほど。……翔は鈍いからまだ気付いてないだろうな」  ふたりは顔を見合わせ、アメリカンジョークのように肩を竦めた。    ***  六と千冬に会った帰り道。翔と瑞希はすこし風が冷たい秋の道をゆっくり歩いていた。 「……長谷川さんって、たぶん、六とすごく相性がいいと思うわ」 「え? どうして? 確かにとっても優しい人だったけど」 「……翔って、ほんとうに鈍いわよね」  まあ、そんなところが好きなんだけど。瑞希はひとりごちた。  最近、瑞希は好んで着ていたタイトな服を封印し、ボディラインの出ないゆったりしたワンピースを数着買った。いつも履いていたハイヒールだって、ぺたんこなバレエシューズに変えた。  それなのに、翔はちっとも気付かない。  久しぶりに会った六は出会い頭で瑞希の変化に気付き、ブランケットを出してくれた。  それよりすごいのは千冬だ。六から聞いていた瑞希の印象と違ったことと、六がブランケットを投げてよこしたことから、デカフェの紅茶を淹れてくれたのだろう。  それだけでなく瑞希が安心して飲めるよう、「この紅茶はデカフェだよ」と伝える気遣いまで見せたのだ。 「――翔。帰りに今川屋の六階に寄ろうか」 「六階? 六階って何かあったっけ」  ほんとうに、鈍い。でも、鈍いけれど決して瑞希を怒鳴りつけたりしない穏やかな翔が、世界で一番好きだった。  今川屋の六階はベビー服売り場。  あそこへ行けば鈍い翔でも気付くだろうか。瑞希はなんだか楽しくなって、いまにも踊りだしたい気分だった。
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