17 初めての

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17 初めての

 千冬(ちふゆ)の登場で御影(みかげ)に一瞬、隙が出来た。  (りく)はそれを見逃さず、必死で片足を自由にすると、容赦なく膝で御影の急所を蹴り上げた。 「――ぐッ!」  鈍い声を上げ、御影はその場にうずくまった。  現役は退いたとはいえ、サッカーで鍛えていた自慢の脚力だから、さぞかし痛いだろう。内臓を鷲掴みされたような激痛に悶絶している御影を尻目に、六は千冬の元へ走った。 「キスのお代だ、釣りはいらねえよ!」  ダサいとは思いつつ、完全な安全圏に移動してから、御影に中指を立てた。  酔っていなければ、もう少し丸く収められただろう。今夜の六はしこたま酒を飲まされて頭が働かず、行動も感情も制御できなかった。 「千冬さん、どうしてここへ?」 「(かける)くんと瑞希(みずき)ちゃんのふたりから、『飲み会後の六はとんでもないことになるから迎えに行った方がいい』ってメッセージをもらったんだよ」  来てよかった。千冬が抱き締めれば、ベルガモットの香りが六を包んだ。  このまま犯されてしまいそうで、六だって怖かった。ふたりはしばらく抱き合ったまま、互いの鼓動を聞き、心を落ち着かせた。 「御影(はじめ)くん、だよね」  千冬は六を抱き締めたまま、御影に声を掛けた。  突然フルネームを呼ばれた御影の肩が跳ねる。恐る恐る上げた顔には、わずかばかりの恐怖が宿っていた。  六は穏やかな千冬の心音を聴きながら(オレ、御影さんの下の名前教えたっけ?)とぼんやり思った。 「君、おいたが過ぎるよ。……ちょっと、反省が必要じゃないかな」  千冬はどこかに電話を掛け、二言三言話して通話を切った。  そしてもう用はないというように、六の肩を抱いて大通りへ歩き出した。 「――六、御影くんとキスしたの?」  千冬の声がいつもより低く、怒られたような気分になり、とっさに反論した。 「したんじゃない、されたの! 御影さんは好きじゃないからやだって、オレは言った!」  酔っているせいで子供のような言い方になってしまったのだが、いまの六にそれを気にする余裕はない。 「そっか。……ごめん。六は被害者なのに、嫌な言い方したね」  千冬は歩きながら肩を抱いた腕を移動させ、六の髪を撫でた。 「……気にしてない。あ、でも、千冬さんは優しくて大好きだから、キスできるよ」  脈絡のない台詞に、千冬は言葉を失った。翔と瑞希から「キス魔になる」とは聞いていたが、まさかここまで箍が外れているとは。  いつもしゃんとしている六が、甘えた雰囲気を出しながら上目遣いでお誘いしてくるので、千冬はどっと疲れ、ため息をついた。 「――確かに、とんでもない」 「キスしようか?」 「ちょっと、黙って……」  酒のせいで紅く染まった頬と潤んだ瞳がやけに(なま)めかしく、少し舌足らずになったあまい声にめまいがしそうだ。  人の気も知らないで、千冬の腕に絡みついた六は、キスしようと躍起になっている。そんな六を掌で押し返しながら、千冬はもう一度、大きなため息をついた。  激化した攻防を経て、ふたりは千冬のマンションへ帰ってきた。  酒のせいでテンションが上がった六はご機嫌だが、千冬はこの数十分ですさまじいフラストレーションが溜まっていた。  六をスーツからパジャマへ着替えさせ、酔い醒ましのホットミルクを飲ませてから千冬も着替え、歯を磨き、もしもに備えて六の枕元へ洗面器を置いた。  眠りの準備が整ったところで、千冬はベッドの淵に腰かけ、横になった六の頭を撫でてやった。頭を撫でられ気持ちよさそうに目を細める六を見て、ようやく千冬はいつもの笑みを取り戻すことができたのだった。 「千冬さん、助けに来てくれてありがとう」 「どういたしまして。……無事でよかった」 「あのさ、耳貸して」 「うん、どうしたの?」  何の疑問もなく素直に顔を近づけた千冬の唇に、柔らかい熱が触れたと思えば、六がいたずら小僧のようにぺろり、と舌を出して笑っていた。  ――刹那、千冬は衝動に突き動かされ、ベッド上の六へ覆いかぶさった。  六がキスしておきながら、押し倒されたような体勢に目を丸くしており、千冬の血が沸いた。 「……君は、僕のことを聖人君子か何かだと、勘違いしてない?」 「そんなこと、な……ふ、ぁ」   返事を待つことなく、六の唇を奪った。 「ち、ふゆ、さ……んッ、あっ……!」  酔って火傷しそうなほど熱くなった口内に、千冬の舌が差し込まれた。 「光輝(みつき)くんの名前を呼ばなかったことは、褒めてあげる。いい子だね、六――」  千冬のキスは蕩けそうにあまく、すこし薄めの舌で歯列を一本一本なぞられれば、下腹部にもどかしい疼きが這いあがった。快楽で涙が滲んでくるが、千冬に縋りつくこともできず、六は枕をきつく掴むことしかできなかった。 「ぁ、千冬さん、こわいッ……! もう、やめて……」  上気した頬に、溜まった涙がすべり落ちた。  光輝は一切、六に前戯をしなかった。だから性行為が好きじゃないはずなのに、六の性器は千冬のキスだけで勃ち上がり始めており、驚きを隠せなかった。  与えられる愛撫に不慣れな六は、過ぎた快感に身を委ねられず、戸惑った様子を見せている。  アルファと結婚して抱かれていたにもかかわらず初心な反応をする六に、千冬はふ、と笑った。 「……こわい、ね。『優しい千冬さん』は、君に欲情しないと思ってた? 僕も男だよ。好きな子にキスをされたら、正気じゃいられない」  千冬はいつも笑顔を絶やさない。それは爬虫類に似た自分の顔が、すこし怖く見えることを知っているからだ。  だが今はどうだ。朗らかな笑みを脱ぎ捨てた千冬は、欲に濡れた捕食者の目をしていた。  その視線にさらされ、六の身体がぞくりと反応する。それは恐怖なのか、はたまた期待なのか。酩酊した頭で考えてみても、答えは出せなかった。 「大丈夫。僕に身を預けて……」  優しい声で言われ、えもいわれぬ感情が溢れたところで、再び口付けられ、六の腰がびくりと跳ねる。跳ねた腰の下に右腕を回した千冬は、左手で優しく六の頬を撫でながら、呼吸を貪りつくすようなキスをした。  そこまでしても、千冬は決して一線を超えぬよう、頑なに六の性器を触らなかった。 「六、気持ちいい? ねえ、教えて」 「ん、んっ……はず、かしいから、むり……」  無理と言いながらも、六の舌は千冬の舌を追いかけているのだから、答えは一目瞭然だった。  これまで感じたことのない快楽を逃がしたくて、六は思わず千冬の頭を掻き抱いた。そのまま頭を引き寄せれば、すこしウェーブのかかった千冬の柔らかい髪が六の額をくすぐり、妙にあまやかな気分になった。  ふたりは互いの唾液を絡ませ、呼吸を奪い合う。部屋にはふたりの荒い呼吸音だけが響いた。  そうしているうちに、六は自分の意識が遠くに感じられ――いつの間にか眠りに落ちていた。  千冬は安心しきった様子で寝息を立てる六に苦笑した。  ここまでされても六にとっては、『優しい千冬さん』でしかないのだろうか、と。 「……ねえ、六。早く僕を好きになって……」  そして、全力で君を愛しても許される権利をくれないか――。  声にならない願いは、静かな寝室に溶けていった。
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