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24 美しい呪い
リビングの中央にはガラス天板のダイニングテーブル。四人はシャープなデザインのそれを囲み、六の横には千冬が、光輝の隣には紫乃が座った。六がヒートアップしてしまった場合、勢いで光輝を殴りかねないので、話し合いの結果この席次になったのだった。
「――で、紫乃くんはどうしてここに?」
室内には沈黙が波打っていたが、千冬の質問を皮切りに場の空気が動いた。
「おれは光輝くんに呼ばれて来ただけだよ。むしろ、六にいと光輝くんがどういう関係?」
紫乃はふたりの顔を窺い、首を傾げている。
「……紫乃と光輝は、どういう関係なんだ?」
六は答えず、逆に質問を返した。
「え? おれと光輝くん? えっと、その……」
紫乃は光輝の顔を見てから頬を真っ赤に染めて俯き、消え入りそうな声で言った。
「光輝くんは、おれ、の、片想いの人……」
紫乃の返答に、六は深いため息をついた。
「光輝……。お前、こんな純朴な大学生捕まえて裏切りの片棒担がせるとか鬼畜かよ」
「……え? え、何の話?」
紫乃は困惑しており、一方で光輝も啞然としている。そんなふたりの様子に、六と千冬は苦い笑みを浮かべた。
「紫乃は光輝の『運命の番』なんだろ」
「そうだ」
答えは簡潔だった。
この場に乗り込んでくる千冬以外の人間が、光輝の『運命の番』でないと筋が通らない。だから六は闖入者が紫乃だと分かったときから、そうだろうと予測していた。
ただ、紫乃ひとりだけが首を捻っているのが気になるところだ。
「……光輝くん、おれの運命の番なの? というか、六にいにおれのバース性がオメガってこと話したっけ」
「話したことないけど、想像はつくよ」
六は重苦しい雰囲気をぶち壊してくれる紫乃の言動に笑ってしまった。
(正直、見た目だけなら絶対に分からなかったけど。光輝の好みとは真逆だし)
光輝の好みは一目でオメガと判別が出来るような、線の細い美人。
対する紫乃は、オメガの割に体格がいいし、相貌も和犬のようにきりりとしている。ベータである六にとって、紫乃を初対面で判別するのは難しいくらい、オメガらしさは皆無だった。
しかし好みと真逆だからこそ、紫乃が光輝の運命の番で間違いないのだろう。
「それにしても、どうして紫乃は自分の運命の番を知らないんだ?」
素朴な疑問だった。六はベータだから分からないが、千冬の話や光輝の行動から察するに、『運命の番』とは、出逢ったその時に本能が理解するものではないのか。
「えっと……」
紫乃は困ったように眉を下げ、あ、う、と言葉にならない音を繰り返している。
そして言いあぐねている紫乃を見かね、親代わりで事情にも精通している千冬が助け舟を出した。
「それはね、紫乃くんにまだヒートが来ていないから。初ヒートが起こっていないオメガは、アルファの匂いの強弱が分からないんだよ」
「へえー……」
そういうものなのか。六は素直にそう思ったのだが、斜め向かいに座る光輝は納得いかなさそうに眉をしかめ、独り言のようにぼそりと呟いた。
「……これだけ強い匂いがしているのに、ヒートが来てないだって?」
「そう感じるのも君が紫乃くんの運命の番だから。他のアルファにはオメガかどうか判別できる程度の匂いしかしないんだよ」
「そう、ですか……」
ヒートが来ていないということは、『運命の番』であろうが番契約を結べない。
それでも本能は紫乃に出逢った瞬間、いままで培ってきた六への愛情をたやすく踏み越えた。心が愛しているのは六だとしても、本能は紫乃を求めたのだ。
なのに、番としては不完全。いくら本能が求めたとしても、紫乃にヒートが来ない限り、番にはなれない。
――『運命の番』とは、まるで美しい言葉で彩られた呪いのようだった。
光輝の顔が僅かに青くなり、自嘲めいた息を漏らし、難しい顔で黙り込んだ。
「おれのことは、もういいから。で、六にいと光輝くんはどういう関係なの?」
そのことに触れられたくないようで、紫乃は話題を変えるべく、ずっと気にしていた疑問に触れた。
「あー……」
今度は六が言葉に詰まる番だった。
言いたくない。かわいい弟分にこんなことを知られたくない。六は本気で思った。
けれど、隠したとていずれ分かることだ。
「――紫乃、冷静に聞いてくれ」
紫乃は六の真剣な面持ちにきょとんとした顔を見せた後、こくこくと頷いた。
「オレと光輝は婚姻関係にあるんだ。……もう別れるけどな」
「……えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ。六にいは千冬さんと一緒に暮らしてて、千冬さんは六にいが好きで……」
「で、オレは千冬さんが好きだ」
「……六にい、悪い男なの?」
まるで状況が把握できず、混乱しきりだった。
無理もない。紫乃は今の今まで、六と光輝が婚姻関係にあることすら知らなかったのだから。これだけでは、六がふたりの男を手玉に取っているように聞こえるだろう。
「い、や……。うーん、多少はそうかもな……」
悪い男だと認めたくないが、言い訳したところで、光輝との婚姻関係が清算されないまま千冬を愛してしまったのは事実だ。
どう説明したものか。学生である紫乃に生々しい話を聞かせたくないのだが、どこを切り取っても後味の良い話にはならない。
六は最後の電話で話したように、光輝には『運命の番』と幸せになって欲しいと思っている。むしろ、そうなってもらわなければ困る、とさえ思っていた。
それが、最後まで残っていた光輝への愛情だった。六は確かに光輝を愛していた。裏切られてもなお、幸せを願うくらいには。
だから伝え方には気をつけなければならなかった。気をつけなければならなかった、のに。
――六が話し出す前に、だんまりを決め込んでいた光輝が口を開いたのだ。
「……六に『運命の番を見つけたから出て行け』と言ったのは俺だ」
「お、おい光輝!」
何を言い出すのか。六は驚き、咎めを含んだ声で光輝の名を呼んだ。
とても嫌な予感がする。
「それって……。光輝くん、の、運命の番って、おれ、なんだよね?」
突然告げられた真実を受け止めきれず、紫乃の声が震えた。
「ああ」
「……つまり、おれのせいで、六にいと光輝くんは別れることになった?」
「違う! お前は何も知らなったんだろ、紫乃!」
六の不安は的中してしまった。
紫乃は日ごろから明るく人懐こい青年だが、そのキャラクターから受ける印象ほど鈍感ではない。むしろ人の機微に聡いがゆえに明るく振舞っていることを、六はこの短期間で理解していた。
だから、そんな紫乃が真実を告げられたらどういう行動に出るのかなど、考えるまでもない。
「六にい。……謝って許される事じゃないけど、ほんとうに、ごめんなさい」
深く頭を下げる紫乃の声がやけに冷静で、対照的に六の鼓動は早くなった。
まずい。このままでは一番望んでいない結末を迎えてしまうに違いなかった。
「……紫乃が謝ることじゃない。お願いだから、オレと光輝のことは切り離して考えてくれ。お前にはお前の幸せがあるだろ」
「――でも! 知らなかったから許して、って、そんな簡単なことじゃないでしょ……!?」
六はこの場においても紫乃の兄貴分だった。だが意図と反して、その優しさが紫乃の罪悪感を煽ってしまう。
紫乃は泣き出しそうな気持ちをぐっと抑え、言葉を絞り出した。
「ごめん、ちょっ、と、外の空気吸ってくる。すぐ、戻るから……」
「紫乃、待てって!」
引き留める声を背に、足早に部屋を出て行ってしまった。六も追いかけようと前のめりになったが、ふと思い直して光輝の方を向いた。
「……おい、そこの馬鹿」
怒りがふつふつ湧いてくる。
「どういうつもりだ! 『運命の番』を理由にオレを棄てたくせに、テメー個人の罪悪感で紫乃も棄てるつもりか!?」
六は光輝の胸倉を掴み、呻るように怒鳴った。
仲間が傷つけられるのを黙って見ていられない。それが、たとえ棄てられるきっかけになった光輝の運命の番――紫乃だとしても。六はそういう性分なのだ。
「暴力はダメだよ、六。手を放して」
このままでは殴りかねない。そう思い、空気に徹していた千冬が胸倉を掴む六の手に触れた。
「…………紫乃を連れてくる」
諫められ、短気を起こしたことにばつが悪くなった六は、千冬からカードキーを受け取り、部屋から出て行った。
そして広いマンションの一室に、千冬と光輝という、妙なふたりが残された。
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