第10話 それからのモブ兄

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第10話 それからのモブ兄

 カルディナ共和国連邦とカディステリア王国との間に、停戦や終戦ではなくきちんとした和平条約が締結されてから三年、僕はようやくモールデン家と正式に顔を合わせることが出来た。 「閣下、長らくの無沙汰をお詫び申し上げます」 「よせ、アルノ。お前はいつまでも私の息子だ。そのような呼び方は息子が父親に対するものとして相応しくない」 「……はい、父さん。お久しぶりです」 「ああ。お前には本当に苦労をかけた。済まなかったな、アルノ」  会ったのは国境の街、バーヴェンだ。  さすがにサイダルだとどこにどんな目や耳があるかわからないから、僕の出自が明確になるような話し方はできないし、かと言って国自体が変わったサイダルと違いカディステリア王国では未だ僕は犯罪者。入国できるはずもない。  だからこうして家族に足を運んでもらうことになったのだが、 「兄上……会いたかったです」 「大きくなったねヴェンデル。活躍は手紙で読んだよ。入学からトップの座を明け渡したことがないんだって?さすが自慢の弟だ」 「はい!」 「母さん、お元気そうで安心しました。母さんの好きなバラ園は復活できましたか?」 「ええ、アロイ……アルノが送ってくれた苗のおかげでね。あなたに見せてあげられないのが残念で仕方ないわ」  家族との久闊を叙し、さていよいよ事の元凶であるシャルだ。 「シャル」 「お兄様……」  あ、兄さんからお兄様に変わってる。成長したんだな。相変わらず目を向けずにはいられない美貌だけど、もう二十三歳という年齢になったからなのかそれとも修道院での厳しい戒律生活のおかげなのか、あの頃の溌剌さはなりを潜め貞淑さの方が表に出るようになった。 「早く救ってやれなくて済まなかったな。大変だっただろう」 「いいえ。私がこうして生きていられるのも、恩赦で救われたのも全部お兄様のお陰です。面倒しか起こさなかった私を、絶対に見捨てなかったお兄様の」  まあ確かに子供の頃からシャルは面倒ばかり引き起こしてきた。でも大切な可愛い妹だったからね。兄として面倒見るのは当然のことだ。  街のレストラン、その個室を借り切って家族との顔合わせをしたところで……いや、重要な家族の顔合わせが終わっていない。 「父さん、母さん、シャル、ヴェンデル。紹介します、こちらが僕の妻、シャルロットです」  名前を言うところで声が小さくなってしまったのは勘弁してよ。しょうがないだろ、目の前に妹のシャルロットがいるんだから。  学院時代に母親と同じ名前の同級生を呼ぶのに抵抗があると言っていた友達がいたけれど、その気持ちに今になって共感するとはなぁ、と遠い目をしながら軽く睨んでくるロッテから目を逸らす。 「シャルロットです。ロッテと呼んで下さい」  僕の家族はもともとが木っ端貴族だから身分などほとんど気にしない。唯一の例外が権勢甚だしいフェイ伯爵家出身の母さんだけど、まあ母さんだからなぁ……相変わらずぽわんぽわんしてるし、平民だからって気負わなくて良いと言った僕の言った通りになっている。  ロッテの挨拶が済むなり「可愛い!」と抱きつきそうになっているし、隣に座るシャルも穏やかに微笑みつつ「愛らしい姉ができて嬉し……あれ、でも私の方が年上なのでは」とか悩んでる。  ロッテの年齢のことは伝えてはいたけれども、そりゃ面食らうよね、実際に会うと。事実、父さんは何を言えば良いのか困ったような顔をしてこっちを見てくるし、ヴェンデルは「本当に僕と同じ年なんでしょうね、兄上」とか目で……いや実際に口に出して攻めてくる。  うん、あれだ。すいません、ロッテが十五歳になった瞬間結ばれてしまいました。はい。  いや言い訳をさせて欲しい。  ロッテにいらんこと吹き込んだのはメリルだけじゃなかったんだよ。奥様やご主人も煽りまくるし、シャーディ婆さんもハシェイさんもアンヌも、近所中がこぞってロッテを煽り、僕を囲い込んできたんだよ。そもそもロッテは可愛いし、そりゃ四年も手を出さずにいたら騎兵突撃するでしょ。元傭兵だもの。  ……いえ、すみませんでした、ほんと。  で、翌朝にはロッテの両親に許可を貰って入籍。サイダルで私塾を経営するアルノの妻シャルロットになりました。ただ、父さんとヴェンデルの目つきが怖いのはそれだけじゃなくて。ロッテってシャルやシャルロット殿下みたいな華やかな美人ではないんだけどすごく可愛らしいんだよ。え、それの何が問題か?のろけんな糞野郎?  待って欲しい、聞いてくれ。  問題は、未だに可愛らしいということなんだ。  うん、全然十五歳に見えないんだよ。十一歳の頃に比べればそりゃ多少成長……いや、したか?してないんじゃないかなぁ……いやいや違う、僕はずっと見ているから気づかないだけだ。相変わらず少女?幼女?と悩みたくなるけど。いやだからロリコンじゃねぇっつの。  そんなわけでヴェンデルと父さんの視線の意味は「お前ロリコンだったのか」であって。いやだから違うってば。 「それでえぇっと、シャルロット姉……上?」  母さんが落ち着いてからしばしお茶を楽しんでいる間も、ヴェンデルはどうしても言い辛そうだ。まあね、どう見てもヴェンデルより年下にしか見えないからね。 「ロッテでいいですよ、ヴェンデルさん」 「あ、じゃあ僕もヴェンデルと呼んでください。弟?ですので」  いやヴェンデル、何でいちいち疑問符つけるの?確かに君は弟ですよ。 「さすが兄上の教育を受けただけはありますよね。カルド語が完璧じゃないですか」  あー……それね。  僕が苦笑する雰囲気を察してロッテがおかしそうに笑う。  そんな僕らを見てヴェンデルだけでなく父さんも母さんも、シャルも不思議そうな目をした。 「サイダルはシュメル語とカルド語が混じり合ってますからね。ヴェンデルさんがそう思うのは当然かも知れませんけど、実のところ私がアルノを捕まえたきっかけもそれなんです」 「ほう?」  父さんが興味津々だけど、別にそう複雑な話でもないんだよ。 「王国出身という色を消すためにアチェでは属領でそれなりの教育受けてるって風を装ってたんですよ。で、標準カルド語を話してたんだけど微妙なイントネーションでシュメル訛りがバレて」 「始めからサイダル訛りなら気づかなかったと思いますけど、あまりに教科書通りなカルド語だったので、逆に変だなと」  当時のことを思い出したのかロッテが笑いながら言うけれど、今になって思えば確かに変だとは思うよ、僕も。かっきりした標準カルド語であればあるほど、他の地域出身者が頑張って勉強したんだなあって思うよね、そりゃあ。でもさ、 「お兄様は変なところで抜けてますよね」  君に言われたくはなかったよ、シャル。 「それで、王国のことだがやはりお前の名誉回復は難しそうだ。済まない」  父さんが頭を下げてくるけれど、そればかりはどうしようもないことだ。 「父さんのせいじゃありませんよ。王国に戻るつもりはありませんし、今はこうしてサイダルで前科もなしに暮らせているんですから」 「可愛らしいお嫁さんも貰いましたしね?」  何か言葉に棘がないかな、シャル? 「王女殿下にお力添え頂いても、姉上の恩赦が精一杯でした。それも貴族との結婚は不可だなんて……」 「いいのよヴェンデル。あれだけのことをしたんだから、何の罰もなく恩赦を受けられるはずがないもの。それよりもお兄様の名誉が回復できないことの方が申し訳なくて……私だけが許されるなんて」  修道院での軟禁生活はだいぶ堪えたみたいだね。あのシャルが自分のことより僕の方を気にするなんて。兄としては妹の成長が得られただけで十分満足です。それに貴族との婚姻が無理でも、平民とは結婚できるんだし、シャルなら選り取り見取りだろう。 「まあ今は幸せに暮らしていますので。私塾ではいつまでやっていけるか不安ではありますが……教育を全体化されてしまったらお終いですし」 「その件だがな。共和国はどうなのだ」  後半を小さめの声で言った僕に対する父さんの質問も非常に曖昧。あらゆる店でいちいち全ての客に目を配らせるほど国も暇ではないだろうけど、あまり大声で言うような話でもない。国境の街だしね。 「イ=シュメントを外交併合することは間違いないでしょうね。あそこは民族も違うのでサイダルに使ったような民族意識を煽る手は使えないですし、そもそも使う必要もありません。地力が低いですから旧王族に対する反感を煽って資本投下するだけで国民はほいほいついていきますよ。共和国としては投下した資本の回収と向こうの歴史的領土やらを足がかりにした海外領土拡張もできるから、属国のままにする意味がありませんね」 「サイダルはどうなるんですか、兄上」 「どうかなぁ……イ=シュメントほど急いでないような気がする。もともと同じかほぼ近い民族ではある訳だし、まとまりの悪い地域だったから王朝の変遷も目まぐるしくて旧王族やらの血統はそこら辺にいくらでも転がってる。反乱の正当性を立てるのが難しいから政治的蜂起の危険性が少ないんだ」 「じゃあ、当分はお兄様といつでも会えるんですか?サイダルの統治体制が変わらないのなら、我が国との関係も急変することはないですよね」 「うーん……」  シャルの言葉には確答が難しい。イ=シュメントに対する政策は海外領であり共和国の前進である諸侯連合との封建的な結びつきも強く、ほぼあの辺の一帯は諸侯の誰かが領土としていた。だから公表の制限は緩くて色々と耳にするんだけど、ここサイダルでサイダルへの占領政策を聞き出すことは難しい。ちらり、と隣のロッテを見ると、 「何とも言えないですね。独立させて事実上の属国関係を続ける旨味はないですが、かと言って王国と直接国境を接するリスクを負ってまで併合するメリットがあるかと言われると……ただ、国内統治はほぼ共和国に同化されていますから、予定はわかりませんが併合されることは間違いないと思いますよ、お義姉さま」 「つまり、併合タイミングは王国との関係次第ということか」 「それくらいしか基準はないですね。ここまで同化政策が進めばサイダルには併合による混乱も反発もないでしょう」 「反発するとしたら他国のみ、ですか」 「そうだね。だから共和国上層部が見ているのはそこだけだと思う。今のところは問題なさそうだけど、陛下やシャルロット殿下がどこまで気づいているか、かな」 「気づいているか、ですか?」 「うん。共和国が狙っているのは完全独裁体制だよ。王国で推進している王政や王家への統治権集中なんてレベルでなく、執政による独裁政治。たぶん、諸侯や騎士という階級もそのうちなくなる」 「でもお兄様、アーガス陛下は共和国の執政が目指しているような独裁は考えておられないのでは」 「そうだけどね、王女殿下はその先にある危険性に気づくと思うよ。王国が『王家の権力強化』を目指すなら、個人や思想集団であるか、血統集団であるかの違いはあっても行き着く先は同じさ」 「だから必ず衝突する、か。殿下にはお伝えするか?」 「伝手が残っていれば……あ、情報流すだけなら叔母さんがいましたね」  母さんの妹がシャルロットの侍女をやっている。変わった人だから家のことで口利きするようなことを嫌うけれど、こちらから一方的に情報を渡すだけなら喜んで貰うだろう。  今更王国に義理も何もないけれど、恩人たる父さんや母さん、シャルやヴェンデルたちのいる国が共和国による力の嵐に飲み込まれないよう、潰れられても困るのだ。 「そうね、戻ったらテレーゼと会ってみましょう」 「あ、母さん、叔母さんに会うのでしたらもうひとつ伝言をお願いできますか」 「もちろん構わないわよ」  ではこれを、と持参したメモを差し出す。  あえて封書などにせず、くしゃくしゃの麻紙に書かれているのはアチェの参事会に潜り込んだ時にもののついでと参事会議長の机から拝借した資料にあった名前だ。 「これは?何かの記号かしら」  書かれていたものを見た母さんの声に、父さんやヴェンデルたちも覗き込む。もちろん僕にだってわからない。そこに書かれているのはただの記号にしか見えないからね。ただ、属領時代に共和国の内情偵察をしていた総督府が、突如表舞台に出てきたヴェストラン侯を嗅ぎ回り『領内で噂されていた侯の奇行や当時の手紙や書類など』を集めた写しの中に書かれていたもの、というだけだ。  何かに使えるかと思ってそれを写しておいたものだ、と説明してもロッテ含めて全員が不審げだ。 「今からだと……十五年前ですか、突然人が変わったようになった執政が自分の名前をそう記したそうです」  そこに書かれているのは『上与那原 蓮』。 「そもそもヴェストラン侯の家名はフルティンです。執政がどうしても、と現在の家名に変えたそうですが。彼の出身であるニ・ホンという国では男性器を表す言葉だそうで」  そんなことが候王への改名手続きに出した書類にあったのだ。何だそりゃ、と思ったんだけど念の為写しておいた。僕には何のこっちゃわからないけど、いろんな伝手を持つシャルロットならどこかで役に立つかもだし。 「わかったわ。テレーゼに言付けておきましょう。他にはないのかしら?あなたは第二王女殿下と学友だったのだし」  母さんがメモを折りたたみながら尋ねる。 「そうですねぇ……」  もはや身分が違いすぎて、いくら叔母さんを通したと言っても僕の伝言がシャルロットに伝わるとも思えない。だから駄目元でどうでも良い伝言くらいにしておくか。 「いつまでも軍師きゃらを探してないで、結婚した方がよくないですか、と」  悪戯っぽくシャルに目線をなげて笑いながら言うと、案の定シャルは頬を膨らませる。 「お兄様!私はもうそんな夢を見ていません」 「シャルロット王女殿下への伝言であって、シャルに言った訳じゃないよ。そもそもシャルは王子様きゃらが良いんだろう?」  そう言えばシャルはがっくりと肩を落として、 「もう王子様はうんざりです」  疲れたようにそう言った。  バーヴェンからの帰りの馬車で、そう言えば、とロッテが思い出したかのように口を開いた。 「全体化政策が進んで私塾の経営ができなくなったら、どうっ、するの?」  バーヴェンの街は国境だから、幹線道路はもちろん走っているし整備されているから馬車が荒れるなんてこともない。初めて二人で遠出をするってこともあって、乗合馬車もちょっとお高めのにしたしね。それでも多少の衝撃は来るから最後の言葉だけ跳ね上がった。 「組合に加盟しなくても仕事選べるようになったからね、そのまま国の教育機関で先生として雇って貰えれば一番だけど、駄目そうなら物語を書いてみたいかな」 「物語?アルノが書くの?」 「そ。幸か不幸か、沢山読んだから何となくどんなきゃら出せば良いかはわかるし。ああ、でもロッテに苦労かけるようなことはしないよ。ハレ婆さんのところの雑貨商、後継がいなくて安く経営権を譲って貰える約束してあるから、頑張ってお金貯めるよ」 「そうなの?じゃあ、いずれは雑貨商やるのは決めてるんだ」 「片手間の小遣い稼ぎ程度に物語書こうかな、ってくらいだからね。悪いねロッテ、物語の主人公みたいなかっこいい旦那さんにはなれそうにないよ」  そう言うとロッテは何を言っているのかと言いたげに首を傾げ、すぐに笑った。 「私にとってはモブきゃらの旦那様が一番だから」  シャルロットという名前に散々振り回されたモブの僕も、最後に素敵なシャルロットに巡り会えたな。  モブにはモブなりの幸せがある、がたごと言う馬車の中で僕はしみじみとそう思いながらロッテの腰に手を回した。 「モブじゃなきゃロッテに出会えなかったからね。主人公になんてならなくてよかったよ」  まったく、モブは最高だよ。 <発刊に寄せて>  これは物語によくある悪役令嬢の騒動に巻き込まれた、モブでしかない兄の話。  後に史上初の終身執政官として政治を専横し、自身の息子に後を襲わせようとして結局血統主義に逆戻り、カディステリア王国と大陸の覇を競うことになったカルディナ共和国。そのサイダル郡サイダル市の片隅で、雑貨商として売れない物語を書いていたりしたモブキャラのお話。  きっと本筋はカルディナ終身執政官であり異世界からやってきたと言われるレン・ウェヨ・ナバルや、その好敵手として男性上位の王国で初の渉外部大臣となったシャルロット王女だろう。技術開発に政争に内政に戦争に恋愛にと心踊る話が溢れている。  でも、それらの話は世に溢れている。  だから私は、モブらしく生き、死んでいった心踊らないし盛り上がりもしない、詰まらないありふれた平民の一生を敢えて遺そうと思う。  後世に伝わらなくても良い、誰の目にとまらなくても良い。  モブキャラな兄がモブキャラらしく精一杯生きたことを、私の心に記憶するために。  レティナの街で大水があった年、レザン修道院にて記す。  シャルロット・モールデン ところでお兄様。息子にシャルルと名付けたのは何の冗談ですか?実はシャルロット難に自分から突っ込んでいくドMモブだったなんてキャラ付けはやめて下さいね?
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