第1話 モブ兄の憂鬱

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第1話 モブ兄の憂鬱

「アリア・ヴェンデット・ディル・エデルリッツ、お前との婚約を破棄する!」  あ、どうも。  今、巷間を騒がせている第二王子の婚約破棄、その原因たる公爵令嬢から王子様を寝取った可愛い系アホの娘の兄、つまりモブです。  現在進行形で我がモールデン男爵家は家族が頭を寄せ合って唸っている最中です。  そりゃそうでしょ、バカだバカだとは思っていたけどまさかこの国の三大公爵家のひとつであるエデルリッツ家のご令嬢、アリア様が婚約されているというのに王子様を寝取るとか、まさかの大馬鹿やらかした娘が男爵家ですよ、男爵家。なんでこういう場合、寝取ったアホ娘の家って子爵か男爵なんだろうね、ほんと謎だよ。けどまあ今のところはそれは関係ない。  問題は王族公爵家、しかも宰相を代々勤め上げ王室の覚え目出度く、アリア様含め人格者揃いで貴族・平民問わずどの階層からも敬愛されているエデルリッツ公に、この騒ぎがなければ隣家しか名前も存在も知らないんじゃねという吹けば飛ぶレベルの男爵が喧嘩売ったということですよ。  もうね、あれだね。  終わったね、うち。  だって相手は公爵だよ、公爵。無理ぽ。  さて、公爵だ男爵だと言ってもアレなんで、まずは王国の説明をしておこうと思う。  このカディステリア王家の治める領土は、現王アーガス・セスタ・フィル・カディステリアの下、三大公爵家と通称される、系譜のどこかで王室と繋がる王族公爵3家、公爵家が8家、最初からあった伯爵が19家、伯爵から陞爵した侯爵家が7家、そして男爵家が31家あって子爵って位は存在していない。  そもそも土着豪族の連合体だったから、最初は何々家たちがただ集まっていただけらしい。連合体を成した五百年くらい前にカディステリア家が公の上、王としてトップに立ってからはカディステリア王国と称している。全ての貴族は王との契約の下にあって、陪臣は騎士だけ。騎士位だけは貴族が独自に任命権を持っているが、実際はほぼ存在しない。いや騎士階級の家名だけは溢れてるんだよ、だって誰も任命しないから。空位だけが大量にそこら中にあるってこと。領土持ちの貴族がそれほど多い訳じゃないから当たり前って言えば当たり前だね、任命したところで養えないもの。  領土を持っているのは王族公爵以外の公爵家8家、つまりこれが最初の連合を組んだ土着豪族だから先祖伝来の土地を幾ばくか確保してるってわけ。彼らだけは私兵とも言える騎士を何名かは傘下にしている。侯爵のうち2家、伯爵の1家、男爵の3家がその歴史の中で何かしらの功績があったんだろうね、猫額の土地を持ってるけど、この辺の領土はいずれ王家に召し上げられるんだろうと専らの噂。  じゃあ貴族は何やってるんだと言えば、宮廷か軍属かで国から俸禄貰うか商売で稼ぐかのどちらか。市井の識字率が低い頃はがっぽり儲けてた貴族もいたらしいけど、公教育が普及し始めてからは凋落ぎみ。やっぱり目の色が違うよ、平民は。相手が誰であろうと喰らい尽くしてやるって勢いだもの。どれだけ商才があろうと、失敗したって死ぬ訳でもない貴族が勝てるわけないよね。  そんなわけだから今や貴族はごく少数の例外を除いて政府高官として大臣や次官として働くか、将軍や左官として軍でお勤めするか。で、我がモールデン男爵家は現当主である父上が工務部で次官補佐やってます。あ、今なんだその取ってつけたような役職はとか思ったね?いや、まだマシなんだよ、次官補佐。そもそも政府の枠が尚書部、兵衛部、内務部、渉外部、工務部、商務部、国土部しかないわけで、そのうち尚書部と近衛を持つ兵衛部は当然のことながら三大公爵家が宰相との持ち回りで独占。残る五つの政府部門の大臣・次官でもポストは10。三大公爵を除く公侯伯男は65家。それぞれに働ける男が3人いたとして195人。  人気の渉外部とかなんて、次官補佐相談役副官参謀室長記録係秘書付文書官なんて意味不明なポストまであるんだから、数字に強くないと勤まらない工務で次官補佐になった父さんは凄いと思う。  王都の他に五つある辺境領、ああ辺境って言っても名称だけね、特に南方なんて海を隔てた帝国と交易しているから下手すりゃ王都より人口多いわ文化や技術も最先端だわで、どっちが辺境なんだと言いたいくらいだから。その辺境領の長官である辺境伯、辺境伯庁の各種長官なんかも貴族が務めることが多いけど、それでも合わせて40ポストくらい。  軍は王家や王都を守る近衛隊、歩騎混合の中央軍、歩兵第一軍と第二軍、騎馬軍団の第三軍があって、歩兵の軍団長は貴族だけど副軍団長や中隊長以下はほぼ平民。ただ、騎兵だけはそのための訓練を受けていないと難しいので第三軍だけはその兵の大半を貴族が占めている。そう、もうわかったと思うけど200から300人近くいる「働ける貴族」のうち二割か三割くらいは文官、あぶれた半分以上がみんな騎兵として第三軍に入隊するんだよ。もちろん騎兵はただの兵であっても歩兵の中隊長クラスと同じ扱いなんだけど、そうは言ってもいつ死ぬかわからない仕事だからね、跡取りがなることはあり得なくて貴族の次男・三男以下が山ほど群がってる。  王国はこんな感じなんだけど、我が男爵家について言えばさっき説明したように、父である当主が工務部の次官補佐としてまあまあな俸禄を頂いています。  おかげで王都旧市街のぎりぎりとは言え、何とか貴族街と言えなくもない場所に二階建ての屋敷を構え、メイドだってトゥイーニーだけど5人ほどは雇用できている。執事?いないよそんなの。代々いたことはないね。これでもマシな方なんだって。お隣のコフィングラ男爵さんなんて、当主がアホでさ。文官からあぶれるだけでなく怠け者で何の訓練もしなかったもんだから、軍への入隊すら拒否される始末。息子さんが辛うじて第三軍の騎兵になって、何とか日々の糧を得ている状態だから屋敷こそ同じくらいだけどメイドさんなんかいないからね?あの家、ステップガールだけで体面繕ってるんだから。  で、そんなモールデン男爵家長男である僕、アロイス・モールデン十六歳なんですが、貴族の子弟が通う中等学院を来年卒業の予定、父上のように数学的才能なんてなかったから軍学校に進んで近衛に入れたら良いなと思ってたんだけど……。  妹がやってくれましたよ。  年子の十五歳、まだまだお子様なくせに最近妙に色気付いてるなと思っていたら、あろうことか公爵令嬢から王子様を寝取るとか。  もうね、バカかと。アホかと。  僕もね、父さんほど順風満帆とまではいかなくとも、分相応の幸せを掴んでモールデン男爵家を没落させない程度には維持できそうだなと思ってたんだよ。教養科目は平均より少し上を保っていたし乗馬や剣術は割と得意な方だったから、貴族の子弟が集まる中等学院でも家庭教師をつけてるような伯爵様の息子にだってため張ってた。  平民が通う普通学校から基礎教育を済ませて上がってくる人たちもいたけれど、彼らは別格。基礎から始めたのに、幼少から教育受けている貴族と同水準と判断されるくらいだから正直言って化け物レベル。だからその辺りと学力で競うのは愚の骨頂でしかないんだけど、ありがたいことに乗馬術と剣術だけはやはり僕ら貴族に一日の長がある。加えてラッキーだったのは、僕らの学年には平民がいなかった。そんな幸運にも恵まれて中等学院三年を修了した時点で、総合成績は学年20位くらいにはつけてたんだ。  講師からも軍学校への推薦は確実、と言われていたから入学してから頑張って近衛推薦資格の学年10位を目指す心算もしてた。  実力的には文官育成のための高等学院にも進学可能だったけど、悪意や陰謀渦巻く宮廷より拳で語れる軍の方が僕には合っている。新兵弄りなどの話も聞くけど、心にクルより体にクル方がマシだと思うんだよ。第三軍だとヤンガーサンとして家を継げずにやさぐれる連中も多そうだけど、近衛ならお行儀良いからね、入団さえできれば人生薔薇色だよ。いやまあ、しがない男爵家だからそれ相応という話であって、巷で人気の軍人とのラブロマンス小説に出てくるような佐官になるのは無理だろうけど。  中等学院で20位に入れるんだから、上位の大半が高等学院に進む以上、学年30位以下ばかりが集まる軍学校でなら確実に10位には入れる。  そうしたら近衛隊に入隊、で、王都守護や王室護衛をこなしていればどこぞの貴族の娘に会う機会だってある。父も母も身分を大して気にしない人たちだから、平民だって構わない。貴族街の端っこから中央へ向かうより近場の平民と遊ぶ機会の方が多かった僕としても、宮廷でなかなか会えない貴族令嬢とのロマンスを待つより市井に触れることも多い近衛で気の好い娘を探したい。  そうして平凡だけど幸せな結婚をして家を継いで、平穏な人生を送りたかった。  送りたかったんだよ兄は。なあ、妹よ。  あ?王子様から言い寄ってきたとか、そんなことはどうでも良いんだよ。  王子妃に?ばか言ってんじゃないよ、男爵家の娘がなれるわけないだろ。王子が3人しかいないんだから侯爵以上から探すに決まってるじゃないか。  ああ、ほんとにもう。  ただのモブとして平穏に生きたかったのに、悪役のモブにジョブチェンジだなんて、聞いてないよ。
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