龍肉のシチュー

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ある日、昼のピークを終えた海原亭に、ひとりの客がやってきました。 その人は顔に大きな傷があり、足を引きずるようにして歩く老人でした。 店内がざわつきます。 「おい、あれ、ロイじいさんじゃないのか」 「本当だ。あの(ジジ)ぃ、まだ生きてたんだな」 ロイという名前の老人のことは、ニーナも知っていました。 何歳なのか、どこに住んでいるのか、誰も知らないという不思議な老人です。 時折ふらりと町に現れては、紙芝居よろしく、子どもたちに若い頃の冒険譚を語り聞かせてくれるのです。 この町で育った子どもなら、誰もが一度はロイおじいさんの武勇伝を聞いたことがあるでしょう。 樹を引っこ抜いて振り回す巨人と戦ったお話。 足が20本もある化け物イカに連れ去られたお話。 中でも名物だったのは、伝説の龍を狩ったというお話でした。 ――さて、勇ましく龍に飛び乗った俺は、その背中(せな)めがけて剣を突き立てた。 ところがだ。 自慢の剣は切っ先1センチも入りゃしねえ。 なんせ小山のようなデカさの巨龍だ。 背には分厚い鱗がびっしりと生え、銃弾だって通さねえ動く要塞さ。 絶望する俺なぞ気にも留めず、奴は悠々と翼を広げた。 ひと振り、ふた振りで竜巻が起き、俺は紙みてえに吹っ飛ばされちまった。 ただの竜巻じゃねえぞ。 触れたモンを片っ端から切り裂いていく、ありゃあ見えねえ刃物だった。 この顔の傷は、そん時できたもんさ―― 誰もが作り話だと思っていましたが、本人が頑なに認めなかったため、ほら吹きじじいと笑う人も大勢いました。 ロイおじいさんは何を言われても気にしていないようでしたが、龍の話だけは別でした。 大人たちが冷やかすと、決まって顔を真っ赤にして怒るのです。 ――嘘じゃあねえ。 俺ァ本当にこの手で龍を討ったんだ―― ロイおじいさんはゆったりした動作で店内を眺め、ニーナを呼び止めると、龍肉のシチューを注文しました。 「おいおい。ロイじいさんが龍肉を注文したぜ」 「こりゃあ傑作だ。嘘つきが嘘つきの料理を食べるってよ」 周りの声など耳に入っていないように、老人の所作は堂々として見えました。 間もなく運ばれてきたシチューを前に、ロイおじいさんは静かに手を合わせました。 髭を蓄えた口が小さく動きます。 頂きます。そう聞こえた気がしました。 しかし、ロイおじいさんはシチューを一度口に運んだきり、動かなくなってしまいました。 心配になったニーナが近づくまでもなく、理由はすぐにわかりました。 声もなく、ロイおじいさんは泣いていたのです。 ぽたぽたと大粒の涙をこぼしながら、それでも目線がシチューから外れることはありません。 ニーナもお客さんも、誰も声をかけられずにいました。 この食事を邪魔してはいけないと、そう思ったのです。 それほどに、ロイおじいさんは食事に集中していました。 ゆっくりと、しかし着実にスプーンは動き続け、ついにはシチューを完食してしまいました。 ロイおじいさんは大きく息をつくと、また、ゆっくりと店内を見渡しました。 目が合ったロイおじいさんは、ニーナに向かって言いました。 「失礼、お嬢さん」 しわがれた、けれどはっきりと聞こえる低い声でした。 「料理人の方を、呼んでいただけますか」
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