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「まあ、私はどっちかというと、久我原くんの恋人さんの方が心配だけど」
葵衣の言葉に、周囲が「なんで?」と不思議そうな顔をする。
すると桃緯の携帯電話が震えた。
「あ、悪い」
みんなに背を向けて電話に出ると、予想通り、桜雅からだった。
『ねえ、まだ終わらないの? 式終わる時間、とっくに過ぎたよね?』
この四年間ですっかり心配性で独占欲強めの恋人に育ってしまった桜雅は、その後、読者モデルから学生兼モデルとなった。
だが、桃緯との安泰な将来を考え、四月からは誰もが知る大手商社に手堅く就職を決めていたのである。
「仕方ないだろ、今日で最後なんだから。焦るなよ」
文句を言いながらも、桃緯は仲間に手を振り、校門まで歩き出す。
背後で「桃緯じゃあな」と叫ぶ声が聴こえ、携帯電話片手に振り返り、もう一度大きく手を振った。
ざわざわと急に周囲が騒々しくなる。
「なんかうるさいな」
「──そう?」
突然、携帯電話からではなく、桜雅の声がすぐ後ろから聴こえてくる。
はっとして前を向くと、ダークグレーのチョークストライプスーツを身にまとった桜雅がそこへ立っていた。
「桃緯、遅いから迎えに来たよ」
桃緯の手から学位授与の証明書を奪い取ると、脇に抱え、独り先に歩いていってしまう。きゃあと黄色い歓声があがり、桜雅の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
先月、雑誌で桜雅の引退特集が組まれたせいか、周囲はよけいに混乱している。喧騒のなか人混みをかき分け、慌てて桃緯はその後を追いかけていく。
「桜雅ぁ」
ようやくみつけた後ろ姿に手を伸ばそうとしたところで、反対に手を掴まれる。
「桃緯、こっち」
桜雅の声が聴こえ、成すがまま連れて行かれ、押し込まれたのは、久我原家の見馴れた白の国産SUVだった。
「どうしてなかまで来たんだよ? 来たら混乱するの、わかってただろ?」
不機嫌そうに言ったが、本音は嬉しかった。
嬉しくて、うれしくて、つい顔に感情が出てしまう。
そんな自分がわかっていたから、照れ隠しでさらに文句を並べようと、口を尖らせたところで、その唇が塞がれた。
目を大きく見開いていると、桜雅が小さなネイビーのビロードのケースを差し出した。
「俺と、結婚してください」
「……え?」
驚きが倍になり、さらに目を見開くと、「しかもこんなところだし」と桜雅が小さくため息をついた。
「って、もう俺たち、同じ戸籍に入ってるんだよな。でも、」
ビロードのケースからサイズ違いの指環を取り出して、桃緯の左手の薬指に時間をかけてはめていく。
その手が震えていることに気がつき、桃緯の胸も震え立つ。
「俺も結婚したい。これからもずっと、一緒にいたい」
桜雅と出逢ったあの日、裏があると思った義兄が、こんなにも愛おしく、かわいい一面を持つ男だとは思わなかった。
この先、どれだけすごいエリート商社マンになろうが、桃緯の前でだけは変わらない、大型ワンコのような桜雅が好きだ。
好きだ。
すきだ。
すきだ。
そしてそんな桜雅がとても愛おしく、桃緯は一生をかけて、愛し続けたい。
一緒にいたい、一緒に悩みたいと思った。
薬指に輝くお揃いの指環を目に、これから先、今度は運命共同体として共に過ごす覚悟を新たにしたのであった。
END
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