149人が本棚に入れています
本棚に追加
後編
その人は私を御者と待ち合わせをした宿まで連れて行ってくれると、女医を呼んで診察までしてもらった。
気づいた時にはその人はいなくて、治療代も先に払ってくれていた。
騎士団の人だというのはわかったけど、名前も聞いていないし、暗かったからちゃんと顔も覚えていない。
覚えているのはあの低めの優しい声だけで、それだけでは探すこともできなかった。
いつか、ちゃんとお礼を言える日がくるといいのだけど。
私が婚約破棄をした夜会のことは、あっという間に貴族中に広まってしまったらしい。あれだけ派手にやってしまえば、当然と言えば当然だけれど。
あのあと陛下からの呼び出しがあって、緊張しながら謁見するも、ブライアン様がしでかしたことへの謝罪だった。陛下は結構な額の慰謝料をくださって、双方の面目を保つためには婚約破棄ではなく婚約解消にしてはどうかと提案された。ここで陛下とこじれるのは得策ではないと判断した私は、その要求を承諾。
予期せぬお金を手に入れた私は、領地経営のために使っていつものように奔走する。
お母様は早くに亡くなり、お父様は病気がち。ブライアン様との結婚が立ち消えた今、私がなんとかするしかない。
だけど、あの夜会での私の立ち居振る舞いを見た人たちの私の評価は、『ローザは美しいが恐ろしい』『あんな嫁はいやだ』という惨憺たるもの。
貧乏田舎領地ということも知れ渡り、婿入りしようという人は誰もいなくなっていた。
そんな折り、陛下自らが私へ縁談を持ってきてくださった。
十分に慰謝料もいただいているというのに、自分の息子のせいで縁談が皆無になった私のことを気にしてくださったみたい。当のブライアン様はマリリン様の元へと婿入りしたそうだから、余計になんとかしなくてはいけない気持ちになってしまわれたのかしら。
もう裏切られてあんな気持ちになるのはこりごりだし、まだしばらくはそんな気持ちにはなれそうになかったのだけど、このままでは家が途絶えてしまうのも確か。
私は家のために、その縁談をお受けすることにした。
お相手の名前はベネディクト様。カードナー侯爵家の三男で副騎士団長、二十七歳らしい。
名前くらいは聞いたことはあるけれど、どんな人なのかしら。二十七歳で副騎士団長なんて、かなり優秀な人物ではあるんだろうけど。
きっと、陛下に言われて断れなかっただけに違いないわね。陛下のお気持ちはありがたいけれど、ベネディクト様にとっては災難でしかない。申し訳なくて、胃に穴が空きそう。
そんなこんなを思いながらも、ベネディクト様とお会いする日がやってきた。
陛下は城でと言ってくださったけれど、丁重にお断りをいれた。婿に来てもらうのだから、我が家の状態をちゃんと把握してもらったほうが良いと、無理をいってご足労をお願いした。
そしてたった今、うち目の前についたガードナー家の馬車は……ええ、うちのオンボロ馬車とは桁違いの高級馬車!
うちの家を見てどう思ったかしら。一応由緒は正しいから、家も庭も広いのだけど、それに対して人員が少なすぎるから手入れが行き届いてない。知らない人が見れば幽霊屋敷にも間違われてしまうほどなのよね。
逃げ帰られても仕方ないと思いながら、私は彼を迎え入れた。
「陛下のご紹介で参りましたベネディクト・ガードナーと申します。王都騎士団の副騎士団長を務めております。気軽にベネディクトとお呼びください」
「ベネディクト様……?」
「もっとお気軽に」
「えーっと……ベネディクト、さん」
私がそう呼ぶと、ベネディクトさんは満足そうに口元を綻ばせた。
艶やかなコーヒー色の髪がとても印象的。目元は涼やかでいて真っ直ぐ私の瞳を見てくれていて、なんだかドキドキしちゃうわ。上流階級でエリートだというのに、威圧的な感じも高慢な態度も全くない。
というか、びっくりするくらいの美形なんですけど?
ベネディクトさんの第一印象は、私にはもったいなすぎる人。
陛下、釣り合いを考えて紹介してください……どうにかうまくお断りをしなければ、この方がかわいそう。
「私はランドルフ家の一人娘で、ローザと申します。父は現在床に臥しておりまして、同席いたしませんことをお詫び申し上げます」
「存じております。伯爵の御身のためにはその方がよろしいかと私も考えます。どうぞお気になさらず」
ほんの少し目尻が下がって柔らかい表情になる。どこかほっとさせられる低くて優しい声は、どこかで聞いたことが?
ともかく私はベネディクトさんに中に入ってもらい、二人で話をすることになった。
「使用人の数が少なくて、驚きましたでしょう?」
「どの方もこの家に仕えることに誇りを持っているように見えました。それだけあなたが使用人を大切にしているということでしょう。数の多さは問題ではありません」
ベネディクトさんは褒め上手かしら。鼻で笑われても仕方ないことだというのに、本当に心からそう思っているみたい。
どうしよう、とっても良い方だわ。本当にうちの家に来させても構わないのかしら。私はこんな方に来てもらえるなら……嬉しいけれど。
「あの……陛下のご命令でこられたことはわかっています。ベネディクトさんは陛下の手前、断りにくいかと存じますが、ここには他に誰もいませんし、ぜひ本音を聞かせて頂けたらと思っております」
私は、陛下のご好意とベネディクトさんの優しさにつけ込んで、利用してしまう方の立場にはかわりない。
だからせめて、本音を聞かせてもらおう。その上でどうするか考えるしかないわ。
私の提案に、ベネディクトさんは口を開いた。
「失礼ながら、あなたについて調べさせてもらっていました。この見合いは、私から頼み込んだものです」
「え?」
間抜けな声をあげてしまい、私は慌てて口元を押さえた。
私について調べていたなんて、なんて酔興な人なの。さらに自分から頼み込んだものだとか……どうしてそんな結論に?
「私に関しての噂など、ろくなものはありませんでしたでしょう?」
「あなたに対する同情の声もありましたよ」
「それだけでお見合いしようと思われたのですか?」
私が首を傾げると、ベネディクトさんはゆっくりと首を横に振った。
「夜会でのブライアン様の言い分も聞きました。貴族であれば、見栄を張らなければならぬ事は、私も分かっています。たしかに指や耳元・首元を宝石で彩り、華やかな衣装をまとった女性は美しい。しかしその影で、領民は貧しさに喘いでいる……そんな領地が少なからずあります」
領主が贅沢の限りを尽くして、必死に働く領民から全てを吸い上げている領地は、たしかにある。そんな領主には、私は絶対になりたくない。
「任務で国内を見て回るうちに、同じ人間であるにもかかわらず、こうまで不平等であることが、私は許せなかった。貴族に生まれた自分も少なからず同じことをしているかと思うと、騎士として何を守るべきか分からなくなり、やめるつもりでいたのです」
「やめる?」
侯爵家に生まれ、副騎士団長とまでなった順風満帆の人生を歩いている人が、増長することもなく、むしろ苦しんでいる。なんて奇特な人なんだろう。
「私があなたと会ったのは、騎士団長に辞表を提出した日だったのです。団長には早まるなと引き止められ、夜遅くまで話し合っていたため遅くなり、あなたと偶然会うことができたのですが」
「会った……?」
「はい。あなたはずっと泣いておられたので、私の顔を見てはいないかもしれませんね」
泣いていたという言葉を聞いて、私の胸はドクンと跳ねると同時に耳まで熱くなる。まさか、この方が。
「あの時の、騎士の方だったのですか?! 気づきもせず、申しわけありません! その安心できるお声は、どこかで聞いた気はしていたのですが……」
「あのときのあなたは混乱してらしたので、覚えておられないのも無理はありません。どうぞお気になさらず」
「いえ、そんなわけには! とてもお世話になったというのに、お名前も聞かずにお礼も申し上げられず……無礼なことをしてしまったと、後悔しきりだったんです。いまさらですが、お礼を言わせてください。あのときは本当にありがとうございました」
「あなたが少しでも前向きになれたのなら、それで良いのです」
にこりと微笑まれると、ますます私の胸はドクンと鳴った。
思えば、殿方とあんなに密着したのはあの時が初めてだったわ。いまさらながら、恥ずかしさが込み上げてくる。
なにをどう言おうかと思案していると、ベネディクトさんの方が先に声を出した。
「多くの貴族がどれだけ着飾れるかを競う中、あなたは領民とともに貧しくあろうしている。自分を犠牲にできる、強くて美しい人だと私は感じたのです」
見合いの席だというのに、やっぱり型落ちしたドレスしか着られない私を見て、ベネディクトさんは続けた。
「闇の中に輝く宝石のようなあなたの心に打たれました。私はあなたの美しい心を守る騎士でありたい。強くそう思い、陛下に見合いの席を設けてもらったのです」
ベネディクトさんの言葉に、私の胸は熱くなった。
この人ならば、私とともに苦楽を共にしてくれる。質素な見てくれや生活をしていても、決して私を裏切らないでいてくれると。私がそう信じたいだけなのかもしれないけれど……ベネディクトさんとなら、未来を考えてみたい。そんな気にさせられた。
彼は立ち上がると、私のそばまで来て跪いている。
「身も心も清く美しいあなたに、心底惚れてしまったのです。どうかローザ、あなたの騎士になるという私の願いを、叶えて頂けませんか?」
そうして目を真っ直ぐ向けて、微笑まれる。
胸に響く素敵な声で、慈しむように言われては、私の心はもう溶かされてしまいそう。
私は立ち上がると、ベネディクトさんの美しいコーヒー色した髪を眺めた。
「私をずっと支えてくださるのですか? 豊かとは縁遠い生活となるでしょう。それでも私を裏切ったりしないと誓えますか?」
ベネディクトさんはすっくと立ち上がると、腰にある剣の鞘を持って私に掲げた。
「この剣に誓って、必ず。あなたを愛し、決して裏切ることなく、どれだけ貧しくとも、あなたと領民と共に人生を尽くすことを、ここに誓います」
それは、騎士の誓いと言われるもので。全身の血が駆け巡るように体が熱くなる。
「ベネディクトさん……こんな私ですけれど、どうぞよろしくお願いします」
私が顔を熱らせながらそういうと、ベネディクトさんの目尻は優しく細められた。
***
私の領地は北にあり、標高も高くて王都に比べると随分と気温が低い。
「ローザ、寒くはないか?」
「私は慣れていますから」
そう言ったにもかかわらず、ベネディクトさんはコートごと私を後ろから包んでくれた。
少し恥ずかしくて顔が熱くなってしまうけれど、嬉しくて口角が自然と上がってしまう。
「ベネディクトさん、これでは私の仕事ができませんから……」
「鉱山の視察ならば、私に任せておけばいいというのに」
「そういうわけには……私はここの責任者でもありますから」
「あちらに行くなら、危険なので抱いていきます」
「え? きゃっ」
あっという間にベネディクトさんに抱き上げられて、私は彼の首元に手を回した。
こんなに密着している姿を鉱夫に見られてしまうなんて、嬉し恥ずかしなんですよ、ベネディクトさん!
「あの、慣れているので自分で歩けます……!」
「なにかあったときには私の責任になります。おとなしく抱かれていてください」
にっこりと微笑まれてしまうとなにも言えなくなるわ。その笑顔は反則よと思いながら、私はそのまま密着を続ける。
「ローザ様! そちらの方は?」
この鉱山の親方さんが私に話しかけてきて、慌てて降りようともがいたけど、逆にぎゅうっと抱きしめられてしまう。降ろしてください、本当に!
「私はベネディクト・ガードナーと申します。ローザの婚約者で、近々ランドルフ家に婿入りするため、こちらにも頻繁にお邪魔することと思います」
「ローザ様のお婿さん?! そいつはめでてぇ!! こりゃあ、今まで以上に頑張って働かないといけねぇなぁ!」
「いえ、そんな! もう皆さん十分に頑張ってくれてますよ!」
私はそう声をあげて降りようとするけど、やっぱりベネディクトさんにがっちりとロックされたまま降りられない。
「そ、そろそろ降ろしてください、ベネディクトさん!」
「いえ、心配なのでこのままで」
「ははは! こんな婿さんが来てくれるなら、将来安泰だなぁ! よかったなぁ、ローザ様!」
「は、はい」
恥ずかしすぎて困るんだけど、祝福してもらえるのは嬉しい。
ふと顔を上げるとベネディクトさんと目が合って、ふっと微笑んでくれる。
その笑顔、眩しすぎます。嬉しそうなんだから、もう……大好き。
「ローザ様、婿さんにメロメロだなぁ!」
「本当ですか?」
親方さんの言葉にベネディクトさんは目を輝かせて期待している。そんな期待されてしまうと、誤魔化せないじゃないの!
「ええと……本当です……その……ベネディクトさんに、メロメロです……っ」
私は今間違いなく、世界で一番真っ赤な顔をしているに違いないわ。頭が沸騰しそうですもの!
ベネディクトさんはようやく私を降ろしてくれたかと思ったら、そのままぎゅうっと力の限り抱きしめられた。
「嬉しいです。ずっとローザを愛していきますから。今すぐにでも結婚しましょう」
「ベネディクトさん、あの、ここ、鉱山ですから……っ」
こんなに溺愛されるなんて、聞いてないです! ベネディクトさんは恥ずかしくないのかしら?
「ずっとこうしていたいですが、仕事もしなければいけませんね。ではもう一度抱き上げて……」
「お、お、お、親方ぁぁああ! 大変だ、大変だぁ!!」
ベネディクトさんに抱き上げられる寸前、遠くから鉱夫が声を上げながら走ってきた。
「なんでぃ、ローザ様がいらっしゃるのに騒々しい!」
「へ? あ、ローザ様!! 今、鉱山でこれを発見したんです!! 見てください!!」
そう言って鉱夫の差し出した手を見た。そこには青く透き通る美しい石が、手のひらにドンと乗っている。
「これは……」
「トパーズですね。それもすごく大きい」
ベネディクトさんの言葉に、私は目を見張った。ここは石炭しか取れない鉱山だと思っていたけど、まさかトパーズが眠っていただなんて!
「これの鉱脈を発見したんですよ!! もう、どこもかしかも青色だらけ!!」
「ほ、本当か!! やりましたよローザ様!! ようやくローザ様にも、流行のドレスを着ていただけます!!」
親方さんが、涙ながらにそう言ってくれた。まさか、そんなことを思ってくれていただなんて……私の方が泣けてきてしまう。
「ありがとう……みんなが頑張ってくれたからよ……これでようやく我が領地も潤うわ」
「ローザ様、トパーズは真実の友人や愛する人を手に入れるパワーがあると言われているんですよ。この石は、きっと二人の愛する気持ちが引き寄せたに違いないです!」
親方さんに力一杯そう言われて、私はベネディクトさんを見上げた。
このタイミングでトパーズが出てきたのは、偶然なのかもしれない。でも、偶然とは思えない力を、彼は持っているような気がした。
「ローザも領民も、今まで耐えて頑張ってきたからですよ。でも、私たちの愛する気持ちがトパーズと巡り合わせてくれたなら、これからもずっと愛し合いましょう。私たちと、領民の幸せのためにも」
「はい……ベネディクトさん」
真実の愛する人を手に入れた私たちはそう誓うと、お互いに手を取って微笑み合う。
鉱夫たちがいつの間にか私たちの周りにやってきて、みんなで喜びの声をあげて笑った。
私たちはそのあとすぐに結婚式を挙げた。
結婚しても変わらず、ベネディクトさんは私を溺愛し続けてくれて──
私は誰よりも幸せに、幸せに過ごした。
最初のコメントを投稿しよう!