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その日、絵美子さんが家に帰ってきたのは夜遅くだった。そして、絵美子さんは、いつもと変わらず冷たい表情をしていた。
私は居間のテーブルに座り、スマホを操作していた。ちらりと、キッチンの方に目を向ける。そこには、お皿を洗う絵美子さんの姿があった。
私の視線に気づいたのか、絵美子さんはこちらに顔を向ける。
「明日も学校でしょう。もうそろそろ寝ないといけませんよ」
絵美子さんが言った。私は思わずムッとする。温度を感じさせない厳しい口調、そんな言い方だから私に嫌われるんだっつうの。
「ねえ、一つだけ良いかな」
私がそう言うと、絵美子さんのこめかみがピクリと動く。
「なんで私に対して敬語なの?」
「え、それは、えっと」
絵美子さんの瞳が揺らぐ。
「年下の私に対して敬語を使う必要なんてないんじゃない。タメで良いよ」
「そ、そうね」
絵美子さんがうなずく。
「これからも一緒に住むんだからさ。フランクにいこうよ」
「わ、分かったわ」
絵美子さんのぎこちない様子に、私は思わずため息をつく。
「何なのそれ。自然体でいこうよ」
「いや、そう言われても、慣れないから」
絵美子さんは頭をぽりぽりとかき、照れたような表情を浮かべる。
なんだ。この人、こんな顔もするんじゃん。私は絵美子さんが初めて見せた人間らしい仕草に、なんだかホッとした。
「もう、しっかりしてよね。これからも長い付き合いになるんだから。頼むよ、お母さん」
私の言葉に、絵美子さんの動きがぴたりと止まった。キョトンとした表情を見せたまま、全く動こうとしない。
「え、どうしたの。なんか変なこと言ったかな」
絵美子さんの変わりように、私は焦ってしまう。
「今、梨紗ちゃん、私のことを、お母さんって」
「え、うん。言ったけど。それがどうしたの」
その時、絵美子さんの瞳から、つうっと涙が流れた。
「ちょ、ちょっと」
私はあまりのことに、慌てて立ち上がる。
「初めて、私のこと、お母さんって、言ってくれた」
その時、絵美子さんの表情が、くしゃりと崩れた。
「私なんて、母親に向いてないんじゃないかと思って、それで、ずっとお母さんって言ってくれないんじゃないかと思って」
絵美子さんはその場にしゃがみ、両膝に顔を埋める。
「私のことを嫌ってるんじゃないかって。もう話しかけてくれないんじゃないかって。そう思ってた。ずっと不安で、怖かったの。ううあああああ」
「ちょっと、泣かなくても」
「ああああああ」
部屋に絵美子さんの泣き声が響く。私は必死に絵美子さんの背中をさすった。
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