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「ううん、大丈夫。これからるーくんを『榊先生』て呼ばなきゃいけないと思ったらため息が出ちゃっただけ」
そう言って笑ったら、兄も笑う。
「ほんとだな。でも兄としては安心だよ。馨がそばにいてくれると思うと。なずに変な虫がつかないよう見張っててもらわなきゃな」
変な虫って・・・。
「だけど、運命の出会いがあるかもしれないでしょ?」
全部が全部変な虫じゃないと思う。
「運命ならちょっとの邪魔くらいじゃどうともならないさ。そのときが来たらちゃんと出会うことが出来るよ」
確かに。
だから運命なんだ。
「それより具合はどうだ?顔色がまだ悪いけど」
僕の身体を心配してくれた兄がタクシーを呼んでくれて、それに二人で乗り込む。
「大丈夫だよ。だけどまだ少し気持ち悪いかも」
タクシーに酔うほどではないけど、なんだか胸がゾワゾワする。
「入学式で緊張してたのかな?ごめんね、せっかく仕事休んで来てくれたのに」
こういう学校行事はいつも仕事を休んで来てくれる兄に申し訳ない。しかも今はもう、結婚して家から出ているというのに。
「そんなのはいいんだよ。オレが来たいんだから。それより本当に大丈夫か?なんなら今日は実家に泊まろうか?」
今は父と二人暮しになってしまった家に、兄は何かと心配して泊まりに来てくれる。
「大丈夫だから。兄さん過保護過ぎだよ。僕だってもう高校生なんだから。そんなに僕べったりだと、義姉さんに逃げられちゃうよ?」
僕が少しからかい気味に言うと、兄は少し寂しそうな顔をする。
「そうだけど、お前はいつまで経ってもオレにとっては小さな弟なんだよ」
そう言うと兄は僕の頭を撫でる。
「今日は帰るけど、何かあったらすぐ言うんだぞ。オレでも馨でも、いつでもお前を助けに行くからな」
心配性な兄に、僕は笑って頷く。
「分かってる。困った時はちゃんと兄さんに言うから」
するとまだ納得してないような顔の兄は、それでも僕だけを家の前で下ろしてそのまま会社に向かった。
兄は今日、半休を取っていたのだ。
兄を見送って家に入ると、何だかどっと疲れが出てくる。
僕は何とか自室まで行くとそのままベッドに倒れこんだ。
あの人の顔が忘れらない。
何気なく見た窓の外。中庭を挟んだ向かいの校舎の廊下を、その人は歩いていた。ただそれだけだ。他の生徒に紛れて歩いていただけなのに、僕の目は瞬時にその人に奪われ、釘付けになった。そして同時に湧き上がる恐怖。
なんで恐怖なんだろう?
誰かを見て怖いと思ったのは初めてだ。
見た目が怖いわけじゃない。むしろすごくかっこよかった。それにあっちの校舎にいるということは、それだけでアルファか特進クラスのベータ・・・つまり、僕なんかとは比べ物にならないくらい頭がいいってことで、怖いどころか、きっとすごくモテるだろう。
なのに何で?
見た瞬間に湧き起こる恐怖と、アルファであるという確信。そして近づいてはいけないという心の叫び。
本当になんだというのだろう・・・。
あの時はこれも運命の出会いだと思ったけど、近づいてはいけない人との出会いは運命の出会いじゃない。だって、近づかないということは会うことを避けるということで、避けるのだから出会わない。それに少なくとも、僕はあの人が怖いから会わないように逃げるつもりだし。
・・・なんだかややこしいけど、僕はあの人と会わないはずだから、これは運命の出会いじゃない。
そう思っていたけれど、現実はそんなに甘くなかった。
いくら校舎が違うからと言って、校門は同じなのだから、そこを入って昇降口に着くまでは全校生徒が入り乱れ、当然コースも学年も関係なくなる。そして僕は不意に起こる動悸と背すじを走る恐怖に走り出した。
姿を見たわけじゃない。だけど、あの感覚は間違いなくあの人だ。あの人が近くにいたんだ。
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