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◇
そのあとは嫉妬の嵐だった。
一度振られた俺の焼き餅はぱんぱんに膨らんでこんがりと焼けるまで熱くなった。アルファが近づこうものなら威圧的に睨みつけて、よせつけないように警戒心を燃やす。
「なんかいつも難しい顔をしているね」
「……いろいろ考えているんだ」
「法律って難しいもんね。六法全書とかさ」
そんな会話を交わすが、頭の中は七海のことでいっぱいだった。
デートは至極健全なところを選んで、さりげなく手を繋いで歩けるような場所にえらんだし、美術館に動物園、それに水族館をひと通り巡った。イルカショーなんて並んで座って、緊張しながら見ていたことはいまでも忘れられない。それぐらい鮮明に憶えている。
まっすぐに見つめる顔も、横顔も、後ろ姿もすべて愛おしい。ケンカなんてしたくない。手放したくない。別れなんてとんでもない。
それでも、このままではいけない。けじめをつけようと俺は新幹線に飛び乗って、数年ぶりに実家に帰った。
生まれ育った街は人ごみともので溢れて、変わらず目まぐるしく動いていた。
母親は突然の来訪に驚いた顔をして、医師会があるらしく、夜に帰ってくる父を二人で待った。兄夫婦も呼んで、久しぶりに家族がそろう。御用達の料亭に足を運び、旬の食材を丁寧に調理した料理をいただく。お凌ぎに、椀物、煮物、焼き物が所狭しとならぶ。こんなに豪華な料理を味わうのはいつぶりだろう。
すべてを忘れたかのような家族団欒が戻ったような気分だった。兄貴は父親になっていて、仕事に子育てに忙しいようで笑顔が絶えない。ちびたちがこたつの下をハイハイして、賑やかで明るい家族ができあがっていた。
ひと通り食べ終わって、みんなが酒を飲み交わしていたときだ。
俺は重たい口をひらいた。
しんと部屋が静まるなか、姿勢を正して頭を下げた。番いになりたい奴がいる。相手は男で、オメガで、結婚したいと短く伝えた。
チビたちは寝てしまい、部屋中に沈黙が漂った。
男同士で結婚したやつは親戚でもいない。それでも七海しかいない。まだ学生同士なのはわかっている。
それでも一緒に添い遂げたいと伝えた。いつのまにか、床に額をついて土下座していた。また怒鳴られると思った。啖呵を切って家を出て行ったのに、なんとも情けない姿で帰ってきた自分に、家族はあまりの変わりように笑っていた。
「司法試験が受かったらいいぞ」
むすっとしながら腕を組んで、親父はそう口をひらいた。
その夜から俺はがむしゃらに勉強をした。受かったら伝えよう、その思いで俺は死にもの狂いでがんばった。
夏が深まった蒸し暑い日だ。俺は合格したことを伝えると七海は飛びついて俺を抱きしめた。七海も教育実習を終えて、二人でお祝いをしようとぎゅうと腕の力をつよめた。
「慶斗、おめでとう」
自分よりも七海のほうが喜んで、部屋に花なんかつけて飾りつけなんかしている。また好きという気持ちがおおきくなってしまう。
そのあとはゴロゴロに切った人参とジャガイモのカレーを食べた。緊張してしまって、俺の口数がいつもより少ない。いつ言おうか、いま言おうか。悩みながらむしゃむしゃと咀嚼し続ける。こんなにも悩んでいるのに七海はというと、テレビのニュースの双子のパンダをかわいいねと口もとに米つぶをつけて笑っている。おまえのほうが数百倍かわいいとちょっと口を尖らせてしまう。
全部食べ終わってからしまったと後悔した。
いましかない。
俺は正座して、七海が布巾を片手にこっちに来たとき口をきった。
「番いになりたい」
ゆっくりと、淀みなくしゃべった。その言葉に、口調が熱っぽくなってしまう。
あいつは驚いて、細い瞳をひらく。
オメガと伝えてないのにと言われ、そんなの一目見てわかったと返した。続けてまだ早いんじゃないか、とつんと返された。やっぱりそうだ。乗り気じゃない。俺だけがこんなにも焦っている。それにまだ卒業もしてない。そんなことは判っている。それでも他の奴に取られたくない。
「一生、大事にする」
真剣な眼差しで、そう誓約を立てる。
体を折り曲げて、土下座した。
お願いだ、うんと言ってくれと心の中で願う。沈黙が六畳一間を支配する。怖かった。運命の番いと思いこんでいたのは俺だけで、返事を跳ね返されるのが途轍もなく恐怖に感じた。
「いいよ……」
そんな抑揚のない声が耳に流れた。
小さくうなずく七海に、俺は初めてキスをした。
やわらかな唇に、触れるような口づけをなんどもした。
そのあとは両家に挨拶を済ませ、家族たちはあっさりと俺たちを受け入れてくれた。ただ、七海の一番上の姉には絶対大事にしなさいよと釘をさされている。
「ヒートになったら、すぐに駆けつける」
腫れ物を扱うようになんども抱きしめて、必ず幸せにすると俺は誓った。
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