第十話

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第十話

 信号が赤に変わった。  はっとして、顔を上げると、いつのまにか周囲の人におらず、一人取り残されてしまった。桜の花びらがひらりと舞い散って、スニーカーの先に落ちた。  七海が番いなのはかわらない。ただひとりのかけがえのない存在を、一生をかけて大切にしたい。あれやこれやと手塩にかけて、尽くしたい。その気持ちはかわらない。  離婚なんてしたくない。  浮気なんてするやつじゃない。  愛しているのは俺だけかもしれない。それでいい。  商店街にある花屋にやっと到着して、ぬうっと顔をだす。 「よう、元気そうだな」  メヒコで世話になった星さんが奥から出てきた。料理中に腕に怪我をおってから、実家であるここの花屋を継いだらしく、引っ越してから知った。世間はせまい。 「電話したやつ、取りにきました」 「ああ。ちゃんとかわいく用意してやったぞ」  あのころと違って、にこにこと笑顔で応える。まさかここでもお世話になるとは予想だにしていなかった。 「またしけた面をしてんな。今日は結婚記念日なんだろう。でかいやつ用意したからこれで盛大に祝えよ」 「ありがとうございます。お代は……」  ぐいぐいと胸にチューリップとスイートピーの花束を押しつけるように渡される。 「いらねぇよ」 「いや、でも……」 「気にすんな。出世払いしてくれ。七海ちゃんなんて、買い物袋ぱんぱんにして昨日ここを通ってたぞ」  なんで商店街の、しかも元バイト先のおっさんが俺の夫である七海を「ちゃん」づけするんだ。そう不満に思っても口にはだせず、むっとすると星さんはわかったのかにやにやとした笑みを顔にうかべた。 「おまえ、いつもそういう顔ばかりしていると逃げられるぞ」 「……ぐっ」 「たまには笑った顔もみせろよな。こうやって、口の端っこをあげるんだよ」  げらげらと笑い声を立てて、痛いくらい背中を叩かれながら店から追い出された。来た道を振り返って家路をいそぐ。  たしかに、星さんのいうことは一理ある。  スマホとにらめっこする男なんかより、もっと男らしくて、やさしい笑顔をむける番いのほうがいい。  もしもだ。運命の番いと名乗る奴が現れてみろ、赤い糸なんてなかったようにどこか遠くへ消えてしまうのだろう。結婚記念日なんかをいつなのかすら忘れている気がするし、発情期だって教えてくれず、番いである俺がそばにいるのに声をかけてもくれない。 「用なしか、おれは……」  俺はでかい花束を抱えてとぼとぼと歩いた。  マンションに着いて扉をあけると、家の中に人の気配がない。  よく耳を澄ますと寝室の奥から物音がした。そろりそろりと足を伸ばし、ドアノブを回す。ドアの隙間から、かすれた声が耳を打った。 「……ケイ、ケイ、すき、はぁ……ぁ…、ん」  七海がいた。バイブを手にしながらあらぬところへ押しこんでいる。床は衣類やシャツが散乱して、七海が身体を丸めてうずくまっている。 「んっ、ふぅ、はぁぁ……」  太くて突起のある筒棒をぐいぐいと押して、腰をゆらしながらシャツに顔をうずめて匂いを嗅いでいる。その、手にしていたシャツは見覚えがあったとわかったとき、身体がかっと熱くなった。 「あ、あ、あ、ああああー……」  ぬるついたものが糸をひいて半分以上埋まる。七海は恍惚とした顔で、がくんがくんとゆれて嬌声を吐き出した。  なんだ。これは……。  普段の七海からは想像できない、あまりの変わりように目を丸くしながらも、俺はごくりと唾を吞み込んだ。 「んんっ……あ、あ、あー……」  スイッチを押したのか、さらにぶるぶると全身がゆすぶられる。強弱を変えながら、振動する部分を上下にこすりつけるように腰が動いている。足先をぴんと伸ばして、シャツをなんども唇にあててキスをしている。 「んっ、……ふぅ、いい匂い……」  その言葉に体が動いた。
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