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——あれは……!
雨景色の中、遠くで黒煙が上がっていた。
「確認しました。直ちに向かいます」
哲人はすぐに携帯端末を懐に戻した。
「ゲート付近で大規模な暴発が起こった。あそこには今、健能者が多くいる。手当たり次第に暴発させられたら不祥いことになる」
「そ、そんなっ」
ヨシトは鳥の巣のような頭を抱えた。
「ど、どうしてそこまで気付かなかったんですか!」
ヨシトの言う通りだ。脱漏者たちの姿は、監視用動画像記録機で自動的に検知できるようにしてあるはずだ。
「いや、今回は瞬間移動の異能力を使われたらしい」
「まさか……それって」
ユゥカの言葉を予測した哲人は、ああと言って首肯する。
「祖月輪ルカの姿が監視用動画像記録機で確認された」
「じゃあルカは今もそこに……」
「今のところ不明だ」
不明——そういうことなら、おそらくルカはもうその場所にはいないだろう。そう確信できる理由が、ユゥカにはあった。
「藍瀬、薬の効果が切れるのはいつ頃だ?」
「あ、えと……点滴があるので」
ユゥカはヘルスウォッチを確認した。
「二時間と三十分後です」
「それまでお前は待機だ」
「でも——」
「解っている。人手が欲しい。効果が切れたら現場に向かえ。ジャケットと所持品はその棚にある」
哲人が指差す方を、ユゥカは目で追った。
「分かりました。後で向かいます」
「ああ。行くぞ青柳」
「はい!」
哲人とヨシトは慌ただしく病室を駆け出ていった。
病室が静かになると、雨の音に紛れて地響きが聞こえた。爆発音か崩壊音か。まるで世界の終わりの兆しのようだ。
ユゥカは腕に繋がっていた点滴の針を抜いて、適当に放った。
哲人が言っていた、ベッドの横の棚を開けてみる。そこには確かに、ユゥカのジャケットと、AIG一式、それから布の塊があった。
布を開くと、中身はホルスターと拳銃だった。おそらくユゥカが倒れた直後、特別急行医療車に運ばれる前に哲人が外して隠しておいたのだろう。
拳銃が収まったホルスターとAIGを装着し、最後にジャケットを羽織る。
「よし」
ユゥカは病室を抜け出して、通院患者であるかのように振る舞って病院を出た。
この病院は幸いにも特殊障碍等級八級の居住区にあり、行政地区とは目と鼻の先だ。ユゥカは雨の中を走って、特殊障碍者管理厚生局へ向かった。
局に着いて真っ先に、貸出用の車のキーを盗むように持ち出し、車に乗った。
ユゥカはナヴィに行き先を入力し、最短のルートを選択する。
行き先は——養生施設。
寝ている間、またルカの夢を見た。お蔭でようやく、先日捕らえた脱漏者の言葉の意味が理解できた。
太陽は友人。月はルカ。そして白くて黒い閉鎖空間は、養生施設の面会室だ。
ルカは面会室で、ユゥカを待っている。多分、未来視の能力で、捕まる脱漏者が予め判っていたのだろう。
ユゥカはアクセルを踏み込み、発車させた。
幹線道路へ出ると、街がパニック状態になっているのがよく解った。
この道はゲートへの最短ルートだ。車道には車の列ができ、その横の歩道では、徒歩の方が早いと判断した人々が押し合うように避難している。
突然、視界の左で稲妻が閃いた。直後に爆発音が轟き、砂礫が飛び散った。すぐそこで脱漏者が誰かの能力を暴発させたのだろう。
粉塵の中から、人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
本来なら元凶である脱漏者を追うべきだが、ユゥカはそれを無視して、さらにスピードを上げた。
誰もいない高架道路を、法定速度を超過して走行する。一気に居住地区を越え、商業地区に差し掛かる。
がらりとした商業地区の上をしばらく走り、大きくカーヴした岐路に曲がった。この先に養生施設があるのだ。
やがて、通電装置と大量の監視用動画像記録機を備えた超合金の塀が現れる。この塀の門を越えれば、養生施設の敷地である。
ユゥカは重厚なスライドゲートの前で車を止めた。
端末に表示させたIDの二次元コードをリーダーに読み取らせると、門扉が重たい音を響かせてゆっくりと開いた。
ユゥカは再び車を発進させる。
ビルが並び立つ街とは打って変わって、一面が芝生の風景が広がる。樹木の類は一本もない。その代わりに、監視用動画像記録機のポールが等間隔に林立している。
この、非自然的で物寂しい景色が、ユゥカは昔から大嫌いだった。日常の温度を感じさせない冷たい世界を見ていると、心の奥深くから不安な気持ちがざわざわと掻き立てられるのだ。
そんなだだっ広い風景の先に、窓のない白い建造物群が見えてきた。
ユゥカはその足許に併設されているまっさらな駐車場に、放り出したように車を駐めた。
車から出ると、優しい雨がユゥカに注いだ。
前髪から雫が目許に落ちるが、気にしなかった。
ユゥカは数年前に来た時と同じように、施設の入り口を抜けた。
施設の造りは、やはり当時と変わらない。うんざりするほどに規則的で、気が狂いそうなほどに真っ白だ。
——あれ?
施設に入って、ユゥカはあまりの人気のなさに違和感を覚えた。常駐しているはずの職員が一人もいないのだ。
ユゥカは、まるで循環小数のような、同じ構造が規則正しく繰り返される気味の悪い廊下を見渡した。
「誰も……いない」
——これは。
今の混乱のせいか、あるいはルカの仕業か。
ユゥカは後者だろうと理由もなく直感して、リノリウムの床の長い廊下を歩き始めた。
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