スペシャリスト搭乗

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「ドクターを呼んで! 早く!」 「うぅ……」  現在上空、雲の上。  フライト中の航空機のなかで一人の男性の客が腹部を押さえ苦しそうに呻いていた。  先輩CAは客に駆け寄り冷静に状況を分析、後輩で新人の私こと川松(かわまつ)尚美(なおみ)に医療のスペシャリストを呼ぶように指示を送る。  私は客席に向けて声を張り上げる。 「このなかにお医者様はいらっしゃいますか!?」  しかし客たちは互いの顔を見合わせ首を傾げるばかり。  この飛行機に医者は乗ってないようだ。 「どうすればいいの……」  命の危機に瀕しているお客様相手にどうすることもできない状況に新人の私の目には涙が滲んでしまった。 「もしもし、そこのCAのお嬢さん」  ポン、と肩に手を置かれた。 「はっ」  もしかしてお医者様が!?  希望に満ちた表情で振り返ると後ろには茶色いトレンチコートと格子柄のキャスケットを被った男性がいた。  ご丁寧に片手には虫めがねまで握られている。  その外見から医者でないことをすぐさま理解。  だってこの服装は…… 「どうも名探偵です」 「名探偵!?」  ドラマやアニメで見るあの?  推理や考察のスペシャリストを生で初めて見た。  ていうか自分で名探偵って言ってる探偵初めて見た。  じゃなくて。  どうして探偵がこの場に出てきたのか。 「はっ。もしや、名探偵さんは医療の知識をお持ちで?」 「いや。彼の死因を調べることと犯人を当てることならできます」 「まだお客様死んでません! 不謹慎なこと言わないでください」  思わず大声で叫んでしまう。  犯人……?  いま犯人って言った……?  やだ殺人事件……?  ざわざわ……と機内が不穏な空気に包まれる。 「うっヤバ……」 「しー。もう少し静かに。落ち着きましょうねCAさん」 「誰のせいだと」  口もとに人差し指を置く自称名探偵。その尖らせたアヒル口もぎとりたい。茶色い服漂白して真っ白にしてやりたい。 「そう……静かにしなやかに、風に揺れる草のように……」 「…………」  二人して急に割り込んできた言葉の持ち主の方を見る。  そこには細長い等身の男性が立っていた。 「どなたですか」 「どうも野草研究家です……」 「野草研究家!?」  突然の二人目のスペシャリスト。  でも野草研究家の方がどうしてこの現場に…… 「はっ。もしかして野草研究家さんは医療の知識をお持ちで?」 「いえ露ほど心得てません……」  ですよね。聞いてみただけ。 「しかしながら私は彼が苦しむ原因を推測できたんです……」 「推測?」  彼の急病の原因がわかるの!?  野草研究家はか細い声で言葉を発した。 「もしかして彼は食べられない野草を口にしたのではないかと……」 「こんな空の上のどこに野草が生えてるんですか!」 「ほらこんな会話にも……草はえる……なんちゃって……」 あえて無視。 「どうも~漫画家です」 「また出たスペシャリスト三人目! え!? 漫画家さん!?」  どうしてこの場に来た。 「はっ。もしかして漫画家さんは医療の知識が豊富だったりしますか?」 「いや~医療系の漫画は大好物だが自分はホラー専門でして。次回作の読み切りの参考にしていいか許可を取りにきた所存です~」 「著作権系はちょっと私には……ていうか緊急事態になんちゅう考えをお持ちですか!」  こんな時でも作品第一の思考回路なのクリエイティブ系の人間は。 「そういうのは本人の了承を得た方が良い。まだ生きてるから今のうちに聞いてくるんだ」 「なるほど~」 「アンタは余計なこと言わんでいい! あと「まだ」とか言うな死なせないからッ」  漫画家にアドバイスをする自称名探偵の頭をチョップする。  え、死……?  いま死なせるって言った……?  やっぱり殺人事件……?  ざわざわ……と機内が再びざわつきだす。 「ヤバい。これじゃお客様方がパニックになる」  どうにかして客を落ち着かせなきゃ。 「どうも。売れない芸人です」 「自分で売れないって言っちゃって心折れませんか」 「てへ」  もはやスペシャリストの登場に驚かない。 「で、あなたは何ができるんですか」 「なんか冷たい……面白いギャグで機内の空気をやんわりさせます」 「させてください」 「合点承知の助ートリンク~!」  この返事の時点で彼の力量は察した。  機内の客席の空気は混乱状態から凍結状態へ。 「とりあえずパニックを起こすお客様もいなくなったしいいか。よくやった」 「イエス!」 「それでいいのかそこの二人……」  芸人とハイタッチする私を見てスペシャリスト三名はドン引きしていた。  ……本日のフライトを通してわかったこと。  スペシャリストは使えない(暴論)  スペシャリストっていってもその分野にだけ秀でた専門家たちのことで専門外になると途端にポンコツになる。  何人集まってもなんの力にもならない。 「う、うぅ……」 「お客様!? 意識が戻られましたか」  先輩CAの声が聞こえた。  私が悟っている間に男性は自然回復したらしい。  私(とスペシャリストたち)が駆け寄ると、気絶していた男性は何度かまばたきをし、むくり、と起き上がった。 「お、お客様。まだ安静にしていた方が」  先輩CAが心配そうに声をかけると、 「大丈夫ですよぉ。ただの食べ過ぎなんで」 『……は?』  全員が同じ言葉を機内に響かせた。 「いや~食べ過ぎちゃって。ここの機内食おかわり自由だから。美味しくて美味しくて。限界まで腹に詰め込んじゃいましたよぉ」  男性はポリポリと照れ臭そうに頭をかきながらもう片方の手で膨らんだお腹を撫でた。  それを見て私は力が抜け膝から崩れ落ちた。  安心とか落胆とかいろいろな感情がマーブル状にとぐろを巻く。 『よかったね』  ポン、と私の肩に手を置くとスペシャリストたちは自分の席に戻っていった。 「はぁぁぁ……」  口から魂が出るってこんな感じ。  とりあえず、機内食のおかわりサービスは撤廃するように提案しよう。  次の空港まで長い。  空の上はまだまだ続く。  私は立ちあがりアナウンスで事態が終息したことの報告と数々の非礼を謝罪し、最後にこう付け加えた。 『空の上の食事は大変美味しゅうございます。ご飯が進みます。しかし皆様、くれぐれも食べ過ぎにはご注意ください。それが旅の思い出なんてなりませんよう……』  それでは皆様良い旅を!
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