11 馬酔木

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11 馬酔木

「動くな」  低い声が頭上から降ってくる。ぎょっとして見上げた先、切り立った岩の上からこちらを睨む青年の姿が目に入った。  黒い衣をゆらり、と揺らし、彼は手にした弓に矢をつがえる。矢じりはまっすぐに陽向の頭に向けられていた。 「なんでこんなところにお前みたいなものが! ここが黒鳥の里と知って足を踏み入れたか!」  ぎりぎり、と弦が引き絞られる。岩壁にその音がくっきりと反響し、陽向は慌てて叫んだ。 「違う! そんなんじゃない! 俺はなにも知らない! ただ崖を落ちて……」 「お前らのような凶暴な奴らが里に近づくなんておぞましい! 射殺されたくなければ即刻立ち去れ! さもないと……」 「馬酔木(あせび)」  言いざま男は弦を引き絞る手に力を込める。男の様子に混乱し、さらに釈明しようとしたその陽向を黙らせたのは、空間に投げ込まれたもう一つの声だった。  声に男もぎょっとしたように腕を揺らす。が、まだ弓は下ろされず、矢の先もこちらに向けられたままだ。 「彼はなにもできない」  再び声が聞こえる。先ほどは離れた場所から聞こえていたように思ったのに、今度は陽向のすぐそばで声が響き、陽向もぎょっとして体を震わせる。そろそろと視線を周囲に投げたとき、陽向の傍らに転がる巨石の影で、黒い衣がひらり、と翻った。  彼だった。  静かにこちらに歩み寄ってきた彼は、すっと陽向の前に背中を向けて立ちふさがると、両腕をゆらりと広げて、岩の上の男に言った。 「弓を下ろして。馬酔木」 「でもそいつ悪鬼だろ! その髪の色……間違いないよなあ?! 悪鬼なんて近くに置いてみろ! 大変なことになる」 「悪鬼、か」  背中を向けたまま、彼は小さく息を吐く。そして頭上を見上げ、叫び返した。 「悪鬼だろうと、けがをしている者を捨て置くことは里の掟に反するだろう。死者は穢れだ。里の近くで穢れを生むわけにはいかない」 「だけど!」 「馬酔木。長は誰?」  険しい声ではなかった。むしろ穏やか過ぎる声に思えた。だがその声は穏やかなのに奥に冷え切った氷の塊を抱いているかのような、聞いた者を総毛立たせる危険さを孕んでもいた。  恐怖からか、膝が震えた。  自分よりも華奢で背も低いこの人がとてつもなく巨大なものに思えた。  男の手に握られた弓がゆっくりと下ろされる。その様子から、恐怖を覚えたのは陽向だけではなく、彼もだったのだとわかった。  男の手は震えていた。 「このことは、黙っていてくれるよね」  淡々と彼が言う。その言葉に崖の上、男は無言で頷いた。 「警備、いつもありがとう。馬酔木」  ふわりと腕を下ろしそうねぎらう彼に、馬酔木、と呼ばれた男は、深く一礼をし、すっと暗がりに姿を消した。 「消え、た」 「消えてない。僕たちは闇に紛れるのがうまい。ただそれだけ」  つまらなそうに言いつつ、彼が振り返る。  その白皙を目にしたとたん、先ほどのぞっとするほど冷たく身の内に響いた声を思い出す。なにも言えぬまま立ち尽くすしかできない陽向の前で、彼は小さくため息をついてみせた。
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