第2話 暑がりやの不死鳥

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第2話 暑がりやの不死鳥

 私が死ぬべきだった。  赤い業火が、紅い劫火が、私達を包み込んでいる。  舐めるように、など生温い。炎は内側にいる私達を容赦なく噛み砕いてくる。私達と炎の間にある鉄の防壁は、もはや意味を成していない。それは炎の熱を溜め込み、中にいる私達へと叩きつけ、あらゆる水分を奪おうとしていた。共に夢を語らった友人が耐えきれず飛び出し、炭へと変わっていくのを見た。背中を叩いて鼓舞してくれた隊長が私の上で冷たくなり、熱に当てられて熱くなっていくのを感じた。  悲鳴は聞こえない。炎の轟々という音が掻き消しているのか、鉄の壁が声を遮断しているのか、そもそも干からびた喉から声が出ていないのか。あるいは、声を出している人間など、もう一人もいないのか。  そうだ、私は叫んでいなかった。ただ恐ろしくて、悲しくて、隊長の骸の下で小さく震えていた。  いつ終わるのかも分からない炎熱地獄の中で、みっともなくガタガタと震えていたんだ。  目が覚める。身体は汗でぐっしょりと濡れている。喉がカラカラだ。新しいペットボトルの水を取り出し、封を開けて一気に飲み干す。腹をキリキリと締め付けてくる痛みを、鎮痛剤を飲んでやりすごす。時計を見ると、まだ夜明けにも遠かった。  久々の悪夢に、心と身体はまるきり対応できていなかった。乗り越えた、とは思っていなかったが、まさか本当に、少し頭が茹っただけで思い出してしまうとは。  水に浸かったようにぐしょ濡れになっている寝間着と下着を脱ぎ捨て、冷水のシャワーを頭から被る。熱は苦手だ。悪夢を見た直後は特に。  記憶に刻み込まれた熱は、いくら冷水を浴びせても冷めてはくれない。この感覚が本当に嫌だった。だが、これでも大分マシになっている。生還直後の頃は特に酷かった。  悪夢を見るたびに叫び声と共に目を覚まし、冬場だろうが凍るような冷水を身体に浴びせ、それでも炎熱が、私を内側から焼き尽くそうとしてきているように感じられて。  ある日、シャワー室の壁に頭蓋を叩きつけ、血を流している私を同僚が発見した。あまりにも熱かったから、頭をかち割って、中に直接冷水を叩きつけようとしたのだ。  それからしばらく休暇を取らされ、故郷の佐渡へ戻ったが、心は全く改善の兆しを見せなかった。  何度も復職の希望を出した。ただジッとしているより、少しでも、死んだ同胞達の遺志を引き継ぎたかった。立ち止まっていると、溜まりきった熱で焼け死にそうで、少しでも発散がしたかった。  臓器に重い腫瘍が見つかった。医者はどうしようもないことだと言ったが、私には、同胞達の恨みの声が聞こえた。  俺達の死体を足蹴にしてのうのうと生き残るのか、と。  侵された臓器と、自身の血液型、双方の希少性から移植手術が叶わぬことにも、鎮痛剤で痛みと死期を誤魔化すことしか出来ない、事実上の不治の病と化してしまったことにも、余命は持って十年であると言われたことにも、深い絶望はなかった。提供者を探すのは断った。これ以上、他人の命で生き永らえたくなかった。ただ、生き残ってしまった自分への罰に相応しいと思っただけだった。そしてより強く切望して、ここへ転属が決まったのだ。  悪夢のことは忘れよう。別のことを考えようとしていると、和泉二等兵の姿が頭に浮かんだ。同時に、生還を果たした私に迫る、さまざまな顔も。  私の心情を、過去を、無知と、あるいは興味本位から、何の躊躇いもなく掘り返そうとしてくる連中。 「……痛っ」 右手に痛みが走る。無意識のうちに、シャワー室の壁面に思い切り叩きつけていた。また頭の中が茹っている。嫌な思考を振り払うように、もう一度だけ、冷水を頭から浴びた。  着替えてシャワー室を出ると、入り口のドアに気配を感じた。 「誰だ」  返事はない。何者だ。敵のスパイか? このタイミングで? 机に置いてあった護身銃を取り、構える。 「動くな。逃げる素振りを見せたら即座に撃つ。扉越しでも貫通するぞ」  ハッタリだったが、扉の向こうの存在が動揺したのがわかった。ゆっくりと近づき、銃口を扉にピタリと付けたまま、覗き穴に顔を近づけると……。 「……」  泣きそうな顔をしている、和泉二等兵がそこにいた。扉を開けて、前に立つ。 「……起床時間には早いし、自室を抜け出すのは職務違反だぞ」 「……っ……上官……」 「……なんだ」  こちらを見上げる和泉二等兵の目は、今にも涙を零しそうになっていた。何度か口を開き、閉じ……そして、小さな声で、 「ごめん、なさい……」 「……」 「私、上官の気持ちとか、何も考えてないで……。自分のことばっかり……っ」 見れば和泉二等兵の頬には涙の跡がある。泣きそうな顔、ではなく、既に泣いた後、のようだった。私に失望されたことを、そこまで悔やんでいたのか。 「……それで、泣いていたのか」  ハッとした顔で、和泉二等兵が慌てて目元を拭おうとしたので、その手を掴んで止める。涙の跡が残るだけの乾いた肌を擦っても、ただ赤くなるだけだ。  水で冷やしたからか、頭の熱はもう引いていた。 「っ……わ、私……」 「部屋に戻れ、和泉二等兵。明日も早い、寝坊なんてしたら、また謹慎を食らわせるぞ」 「……はい……」  俯きがちの返事は、いつになく小さな声だった。 「……私は熱い食事は苦手だ。交換するなら、次からは冷たいものにしてくれ」  和泉二等兵が顔をあげる。驚きに目を見開き、嬉しそうに頬を綻ばせ、そして目をクシャリと歪ませて、 「待て待て! 泣くな、泣くな!」 「ご、ごめんなさい…っ、はい、次からは、気を付けます……!」  和泉二等兵は、頬に新しく涙の跡を作りながら、それを慌てた私にハンカチで拭われながら、しゃくりあげるような声で返事をした。  本当に、まるで子供のような奴だ。
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