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それから数刻ほどして、俺達は剣道場含めた各会場から一万人もを収容可能な蕩然たる体育館へと移動する。
体育館は数十名の草臥れた保健委員を吐き出し、その半数にも満たない風紀委員だけが残った。足元の窓は薄暗い光が反射している。マンモス校とだけあって、全校生徒の半数を処理するまでに丸一日を費やすこととなったが、進捗は例年通りである。
俺は今日最も面倒な相手を体重計に乗せるべく、体育館の両開きの扉を開けた。
のろのろたらたらと入ってくるのは三学年分のFクラス生だ。
とはいえその数は両手で数えられるほどである。とどのつまり、エスケープ者が続出していることについては言うまでもないだろう。
彼らは猛牛のような逞しい肉体を碌に整列させず各々ばらけて器具の前に立ち、平の風紀委員は硬い表情で、保健委員の代わりに彼らの計測を行った。
俺は少しのミスやトラブルも見逃さぬよう、目を皿のようにして監視する。
「お前、あの話聞いたか?」
「プロが出張ってきたっつーアレかよ」
「俺んダチがそこ入りやがったんだ」
「うーわ、勘当モンじゃね?」
「ダチはまだ知らねえんだよな」
カワイソ、と下品な笑い声が重なった。彼らの肩がげらげら揺れるたびに風紀委員のそれも小さく跳ね上がる。
強者も弱者もおしなべて「不良」という枠組みに入れられ、逃れの街よろしく詰め込まれているので、基本的にFクラスはいつもこんな感じだ。
むしろ今日は大人しい方である。従順にも身体測定に来ている面子なので当然だけれど。
「ちゃんと言ってやれよな。教えてやんのがダチだろ?」
「“外”ならダチも何もねえよ」
「ひでえー」
「おれら学園生にとっちゃそれがトーゼンだろうがよ」
中心にいる男がひそりと秘め事を交わし合うように哂えば、その下品な笑い声の輪はたやすく広がる。俺はひっそりと溜息を零した。
とはいえ彼らの話には一部同感である。学園の外にひとたび出てしまえば、俺達は他人だ──そんな暗黙の了解は事実存在している。
そんな淡泊な関係が心地良いと感じるのは俺だけではないだろう。
しかしながら、マイペースにも相槌in脳内を打っているのは俺だけだったらしい。
風紀委員の一人が出し抜けに声を上げた。
「し、私語は謹んでください……っ」
話し手も話題もころころと変わり、けして火がつくように盛り上がっているわけではないのだが、やはり時間が経つにつれて喧しくはなる。Fクラスの陣取った空間に秩序の二文字は存在しない。
けれどそれも、この殺気立った沈黙より余程マシだったことだろう。
「…………──ァ?」
たった一言。喉を微かに鳴らしただけの意味を持たない一音。
ただそれだけで、彼はこの場を支配した。
俺は出入り口とは逆方向の壁際に立っており、おそらく三年生だろう声の主は入り口側だった。
位置関係的に、彼の顔を確かめる間もなく、その男は踵を返して去って行った。それ以上の不満を語るつもりはないようだった。
首筋を這うような黒髪を棚引かせた後頭部だけでは、個人を特定することは難しい。
しかし、彼がFクラスにおいて重要人物の一人であることは容易に想像がつく。
まるで王の赦しでも出たかのように、彼らは暴力的に騒ぎ出した。
壮観である。モヒカンやパンチパーマにリーゼント、首から下にはボンタンや短ランなんかも身に着けちゃって。
旧時代の不良を代表するようなフォルムが大勢粋がっている姿など、もはやフィルムの中でしかお目にかかれないだろうし、そんな男達が目の前にいる状態で平常心でいられる者はそう多くないに違いない。
そしてそれは当人達も同様である。俺は限りなく足音を殺して騒動の中心部に近づく。
「あ、あの……ごめんなさ──」
「ごめんで済んだらケーサツいらねえんだよ。だよなアア?!」
ウオーーー!! 生徒の背後で声が上がった。それと同時に振り上げられた豪腕に、事の発端であるチワワが「ひぅ……っ」と身を縮こませる。
彼は別に間違ったことはしていない。Fとそれ以外を区別した柔軟な対応をするには、まだ一二年ほど時間が足りていなかっただけだ。
彼を案じる平風紀の鋭い悲鳴を背に、俺は大きく踏み込んだ。風紀委員を抱き寄せて拳を躱す。
ほんのジャブだったのだろう。生徒は体勢を崩す様子もなく勢いのままに蹴りが飛び出し、次は再び拳だ。俺はそれらを全て腕で防いだ。
見かけほどの衝撃はなかった。けれど臂力は拮抗している。
流石はFクラス、と言いたいところだが、自制心は俺以下のようだ。躾のなっていない犬のように「どきやがれ!!」と大勢吠え立てている。
これは困った。落としどころが見当たらない。
Fは力を示した相手には従順だが、風紀委員に被害を出さないという条件付きで彼らを全員伸すのはリスキーだ。
リーダー格がいれば上位者同士の話し合い──場合によっては「拳の」──で片付くのだけれど。
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