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正直困惑している。
先程までの思考の続きになるが、体面をいくらか気にする体育教師が俺に危害を加えようとしたのだから、何某かの唆しや恕力があるのではと考えていたのだ。
具体的に言うとそれはFクラスの誰か、あるいは全員なのでは、と思ってしまっていた。それは勘違いだったようだけれど。
俺の背後を取ったこの生徒は体育教師とは無関係だ。明らかに敵対しているし、嫌悪の色さえ見える。俺達を取り囲むようにして眼つけているその他大勢も同様。
つまり体育教師は単独犯である。この分だと、計画性もないのだろう。
体育教師が拳を振り上げる。背後の彼は、それを軽々と掴んだ。
あちこちからウオオとさっきみたいな地を揺らす低い歓声が上がる。足を踏み鳴らし、げらげらと笑う声もあった。
青筋を立てる体育教師という格好の餌で頭がいっぱいなのだろうとわかる。
彼らは俺のことを少しも見ていない。学園外に出たと錯覚しそうでもあり、しかしその尋常ではない内輪ノリの極みこそが学園生であるとも感じた。
「ッ、F風情が何様のつもりだ……!」
体育教師は激昂し、もう片方の手で生徒に殴りかかる。
もはや俺にはもう大人しくしておく理由がない。
ガラ空きの胴を革靴で蹴り抜き、倒れ伏した男の手を踏み躙る。俺の襟口は高い。たぶん三万は下らないんじゃないだろうか。あァもちろん喩え話な。
俺の背後にいた生徒はつかつかと体育教師のもとに近づいた。足を開いて無造作にしゃがむ。
「てめえこそ……」と強面をゆっくり傾け、下からぎろりと睨めつけた。
「“F”の中にはネンショー上がりもザラにいるってこと、知ってんだろ?」
体育教師はぶるぶる震えて黙り込んだ。
それを見たF生はまた下品な笑い声を立てていたが、やがてそれも収まった。
しんとした体育館に、ばたばたと忙しない足音が近づいてくる。
その場のほとんどがそちらに視線を向けた。
そのときまた体育教師が起き上がろうとする気配があったが、俺はいち早く気づいてジャージの襟ぐりを掴み、もう一度床に転がした。
扉は開いたままだ。
平の風紀委員が数人駆け込んできて、その後ろから見慣れたクマさんみたいなかわいこちゃんが顔を見せる。
ムギだ。彼はやや息を荒くして、「ゆえ……っ」と俺の名を呼んだ。
「…………かいちょ、呼んでる……!」
ここで学園の最高権力者をおさらいしよう。
まず、理事長閣下。それに優るとも劣らないのが生徒会長と風紀委員長である。その下にムギや俺といった役員、各委員長が続き、ようやくここで教員がランクインする。
あとはお解り頂けるだろう。
体育教師は舌打ちした。ローアングルから俺の躰つきを未練がましく舐めるように見上げ、それからやたら偉そうに立ち上がって、ムギに肩でぶつかりながら体育館を出て行った。
「覚えてろよ」という三下の捨て台詞を吐きながら。
なお、ムギの方がガタイが良いらしく微動だにしなかったのをここに付け足しておく。
敵性生物がいなくなった途端、すれ違うようにして風紀委員達がこちらに駆け寄ってきた。
俺の安否確認かと思いきや、Fクラスの生徒にしきりに頭を下げている。
「誤解してました!」
「真城様をお守りくださってありがとうございます!!」
「よ、よかったぁ……っ」
そう泣いて感謝されれば、いくらF生といえども無碍には出来ず、しかし簡単に和解といくほど真っ直ぐな心根でもなく。
体育館には生温い空気が漂った。
「会長は?」
「あれ、うそ」
「……ありがとう」
思わず本心の笑みが滲む。
……怖かったろうに。ムギの冷たくなった手を握りながら、俺は風紀委員を統率せんと手を挙げた。
朝を待たずにそれぞれ風紀室と生徒会室へ戻ったのは、今日のことはきっと立件されないだろうと考えたからだ。
証拠もない。肝心な場面の目撃者はFクラスと俺だけ。前者は嘘つきの巣窟で、後者は庶民だ。証言の価値がほとんどない。
ならばせめて仲間に共有し、再発防止に努める。それが俺達にできる唯一の義務だった。
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