春嵐 ─凪のあとに

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春嵐 ─凪のあとに

 見られている。  まるで名のある講堂のような面積を誇る体育館。その中央には全校生徒が規律正しく並び、殆どの視線がステージの見目麗しい男達に向けられているが、一部は最前列の生徒達の真横の壁際に立つ俺に焦点を当てた。  理由は簡単だ。俺が外部生、つまり高校から編入してきた庶民だからである。  逆説的に言うと、俺以外の生徒は上流階級ということになり、そして── 「「「ッキャーーーーーーー!!!」」」  どさどさっ、と気絶して折り重なる一般生徒の音を聞き流しながら、俺はステージに視線を移した。  上流階級の上に立てるのは、真の上流階級。  つまり本当に“特別”な存在だ。 「当然の結果だなァ」 「……大人しく立っていることもできないんですか、彼らは……」 「わーっ、こういうのなんていうんだっけ?」 「えっとー、あっそうだ、将棋だおしだー!」 「あはは。すごいことになっちゃったね〜」 「だ、いじょぶ……かな……」  そしてそれは俺の隣にも。 「上手くいきすぎたなぁ……」  外野だからこその呑気な感想を口にする風紀委員長・月ヶ瀬令(つきがせりょう)に、俺は舌打ちの代わりに自然な笑みを浮かべ、意識して背筋を伸ばした。 「だから言ったんですよ、“やりすぎだ”って」  加えて視線を上向きにすれば、壇上の端っこに立つ背の高い青年と目が合った。垂れ目がちな優しい瞳がまんまるになる。  鴇色の髪を揺らして柔く微笑まれ、俺も頬を緩めた。  すると途端に視界内の頭が揺れ、いくつかの耳に赤みがさす。「きゅ……ッ」とイルカのような声も上がっていた。  この学園に来てから一年以上になるが、彼らの過剰な反応には未だに慣れない。  ここ、真宮(しんぐう)学園は、世間一般から見て大幅にずれた男子校である。生徒の大半が富裕層であることはこの際置いておくことにしよう。問題は斜め下にある。  この学園、ゲイとバイの巣窟なのである。  信頼出来る先輩曰く、女性といかがわしい行為を働かないよう良家の男共をひとつの場所に放り込んだのが学園の始まりとのことだが、何をどうトチ狂ったのか彼らは有り余る性欲を互いに発散することを覚えた。いつしか美しい生徒を尊ぶ文化が生まれたりと腐の歴史を重ねに重ねた結果、俺が編入学してきた去年の時点では何も知らない憐れな外部生を空き教室に閉じ込めて食い物にしようとするレベルでやべえ学校に成り果てていたのである。  それと知らず特待制度のネームバリューに釣られ、俺は日本一難関な高等部編入学試験に挑み、見事合格してしまった。  二学年に上がった今こそ平気な面していられるが、当時はひどいものだった。学園の本性を知ったのは三月の新入学オリエンテーションのときで、時期が時期だから辞退することも出来ず、一人の男としての尊厳は死に瀕するかと思われた。 「新入生挨拶」  そんな力無き只人(ただびと)を助けてくれたのが、いま俺の隣にいる彼、月ヶ瀬令(つきがせりょう)。先程の「信頼出来る先輩」とは彼のことである。  光の加減で銀にも金にも見える髪に垂れ気味の緑眼、そしてマイク越しでもわかる甘い声。誰もが目を奪われる最強の風紀委員長だが、同時に風紀以外の大勢と深い仲にあるエロテロリストでもある。  ……エロテロリストって何だ? どうしよう、俺もこの学園に染まってきたかもしれない。  降って湧いた不安から目を逸らし、無心で前を見ていると、一人の青年が新入生の列から外れてステージへ歩き出す。  利発そうな顔立ちだ。新入生代表に選ばれるのは入学試験で一位を獲った生徒だけだから、きっと頭も良いのだろう。俺の幼馴染も去年選ばれた。そしてその彼はいま壇の上で薄い胸を張り、衆目を一身に受けている。  緊張からか足音は不規則だった。転びそうになりながらも段を登り切り、全校生徒の前に立つ。マイクが一度きぃんと耳障りに鳴る。先程目の合った彼が「がんばって」と口下手ながら小声で励ますのがここからでも見えた。新入生代表は微かに頬を赤らめながら頷き、全校生徒へ向き直り、息を吸った。  その隙に俺達は目を合わせて心の中で笑う。作戦成功、と。
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