─宵越し

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 スマートフォンのアラームが掻き消える。  真夜中の零時まで、残りたったの一時間。工事現場の表へ裏へ、はたまた中へとそれぞれ移動し、いつのまにか廃材置き場まで戦闘の範囲が広がっていた。  傷の男を含めた数人の幹部が声を上げる。 「まだ負けてねえ!!」 「勝利を捧げるんだ!!」 「行け、行けーーー!!!」  俺達は次々に襲いかかる『彼者誰(ヒノデ)』の魔の手を掻い潜り、何度も反撃を繰り出した。  しかしながら勝負はもう決していると言っていい。  そも、寄せ集めの烏合である『珱死楊(オーシャン)』とは違い、彼らは全員が本気で勝ちに来ている。士気が違うのだ。凶器だけでは彼らを止められない。  程々にやって帰るという目的はほとんど果たしたと言っていいが、百夜を借りるには少しインパクトに欠ける。それに敗戦後に寝床を借りるのはパンピーの感性的にきついものがあった。  一時的なものでいい。逆転出来るきっかけがあるなら、それで。  バールを振り回しながら思考を巡らせていると、ガレージの骨組みに嵌った扉が割れるような音を立てて開いた。  おそらく、彼に注目した者は誰もいなかっただろう。  しかし俺は一瞬で意識を持っていかれた。心拍数が乱高下し、頭がずきずきと痛む。  そこにいるのはただの人だった。長身でも取り立てて強そうでもない、どこにでもいそうな人間だ。フード、サングラス、マスクに素顔を覆われていることを除けば、だが。  今朝会ったチンピラや俺みたいな、何らかの理由がなければしないような服装なのである。どう見てもワケ有りだ。  コイツは強い。感覚でも理屈でもすぐにそう理解した。  俺は戦況を見計らって彼のもとへと駆け、パッションピンクのロゴプリントのされた背中をばしっと叩いた。  驚いたことに彼は俺の意図を言葉もなく読み取った。背中合わせになって、それぞれの百八十度を睨む。きっかけが転がり込んできた。  運が回ってきたか? ニッ、と口端を上げる。  彼、あるいは彼女の背景はどうでもいい。この場の空気さえ塗り替えられるのならば。  完全防備ヒューマン(俺命名)の乱入で、戦況は徐々に逆転していく。  彼は俺が思っていたよりもずっと強かった。回し蹴りの合間などに見ていた様子からして、彼のそれは喧嘩殺法というよりも既存の技術を身に着けたストリートファイト的なタイプであった。  おそらく截拳道(ジークンドー)の使い手なのだろう。  しかも彼の動きは見様見真似の児戯ではない。重力を無視したような実践的過ぎる身体捌きは、明らかに独学だけでは行き着くことの出来ない領域にある。  ストレートリードによる逆転した構えと、そこから発される鋭い突き。相手から攻撃を受ければ、その腕を押さえてすぐさま連続した反撃に打って出る。  痛みで開けっ放しにされた間抜けな口腔に指を引っ掛けて行う鮮やかな不意打ちは、彼の猛攻の序の口に過ぎない。  眼球に手を差し入れようとしたり、細かな関節を砕かんとしたり、彼は典型的な『珱死楊(オーシャン)』の喧嘩屋だった。  しかも、その小狡さはあくまで技術に裏打ちされた実力のうちらしい。助走などの予備動作を必要とされない寸勁が繰り出されたときには、さすがの俺も惚れ惚れした。  脱力することで足から伝わるパワーをそのまま拳に伝え、キレのある重いスラッグに変えるというその技は聞いたことがあった。  しかし彼のそれはまるでフィルムの向こう側にいるかのようだ。  小さな身体によって嘘のように弾き飛ばされる、相手の巨体。  俺は久方ぶりに血が沸き立つのを感じた。 「ァンだコイツら!?」 「クソ、止められねー……!!」 「誰か幹部呼んで来い! お前らッそれまで持ち堪えるぞ!!」  応!! 向日葵の特攻服が声を上げ、勢いづいて向かってくる。  己の瞳が否応なく背後に惹きつけられるのを堪え、こちらも負けじと『彼者誰(ヒノデ)』に食らいついた。  士気は五分五分。脱落はこちらの方が多いが、生存は半々。相手さんの幹部とやらは現在ほとんどがガレージモドキの外で戦闘を行っており、こちらは内側の方に成人組が多く、どちらも戦力が偏っている。  いつの間にか、俺達の周辺三メートル程がぽっかりと不自然に空いていた。暗闇の中で砂埃がきらきらと輝いている。  視界の開けた空間で、俺は密かに眉を寄せた。俺と彼の無双が始まってから傷の幹部がやたらこちらを──特に完全防備ヒューマンの方をちらちら見ているような気がするのだ。俺が意識を向けると何もなかったように闘っているのでいまいち確信も持てない。  ちら、と俺はヒューマンを盗み見る。本人は至って涼しい顔をしていた。  きっと思い違いだろう。そう思い、バールを握り直す。  俺は彼にどこか友情めいたものを感じていた。  もちろん一言も言葉を交わしていないのだけれど、彼の方に瀕死体を送ったらそれで相手の拳を防いでくれるし、こちらが射線を殺したいなと思ったときには同じものを渡してくれる。  まるで生き別れの兄弟みたいに息が合った。  俺とリツなんて産婦人科から一緒なのにそんなこと一度もなかったので、割と驚きである。  面白いこともあるなァ。  俺が感心して頷いていたとき、俺達を囲む群衆から情けのない声が上がった。 「こ、こんなのケンカじゃねえ……ッ! ただの暴力だ!!」
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