─宵越し

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 群衆は『彼者誰(ヒノデ)』も『珱死楊(オーシャン)』も混ぜこぜになっているが、彼の発言でパッションピンク・フリークの後者のみがげたげたと品性の欠片もなく笑ったので、相手方(ヒノデ)が言ったのだろう。  俺は困惑しきりで穴開きガレージの外を見遣る。  パッションピンクは総崩れになり、そのほとんどが地に伏している。資材置き場は『彼者誰(ヒノデ)』の勝利らしい。そんでこちらは『珱死楊(オーシャン)』優勢。  ……いや、どうして冷静に状況を見て回っていたのかというと、ネタかなと思ってオチを探していたのだ。しかしそうでもないらしい。  ならもう一言あるのかなと更に数分待ったのだが、特にそういった声は上がらなかった。  つまり……本気(マジ)で言ってるワケ?  俺は本気で戸惑った。とんとん、とバールを肩に当てながら仄かに苦笑する。  バイク蒸かして他人殴って、今更カマトトぶるなよ。  だって初めから── 「喧嘩は暴力だろォが」  俺が口を開く前に、どこかの誰かがそう言った。  つい最近……そう、それこそ今朝方に聞いた、あのチンピラの声だ。  彼を探して視線を彷徨かせていると、群衆の中にいる言葉を失くしたように唖然とした見知らぬ青年が目についた。彼が糾弾の主だろうか。  関心がないのですぐに逸らそうとしたら、その前に青年がガレージの壁に吹き飛ぶ。彼の横っ面へ、完全防備ヒューマンがパンチを入れたらしい。  宇宙語を喋っていた青年はそのままずしゃりと倒れた。壁の落描きのペンキでトップクがどろどろになり、なんとも情けない姿を晒している。  しかし彼はカウンターを寄越す様子もない。気絶したようだ。  「えぇ……」と思わず声が漏れる。 「……()めだ止め!」 「ァんだコイツら、ナメてんのかってーの」 「やってらんねェ〜」  白けたのは俺だけではなかったようで、その場にいた半数近い『珱死楊(オーシャン)』が気怠げに入り口へ歩き出した。成人以上の面子だ。  仕事は終えたとばかりに帰っていく彼らを羨ましそうに見ていると、彼らと拳を合わせて見送っていた傷の幹部が「オイ」と俺を呼んだ。 「あとはお前も好きにしろ」  帰っていいらしい。  「あざー」と頭より高く手を挙げたら、手首のストラップから繋がる警棒の破片を額にぶつけた。眠すぎて判断能力が鈍っているのを実感する。これ以上喧嘩をしていたらやばそうだ。  お言葉に甘えて、ガレージモドキの奥にあるドラム缶にのしっと腰を下ろした。  随分と役者の減った世闇を傍観しながら、夜食に買っていたケチャップハンバーガーの包み紙を剥ぎ、エナジードリンクを飲みながらもぐもぐする。  ミント味のラムネを齧ると眠気はややマシになったが、すーっとする風味よりも手前に、足元に散乱する吸い殻の煙さが頭をじりじりと焼くようだった。それにガソリンスタンドやホームセンターみたいな息苦しい匂いがする。  あまり長くはいたくない場所だ。  屋根のない真っ黒な空を眺めてぼうっとしていると、『彼者誰(ヒノデ)』の野太い歓声が耳を弾いた。眉根を押さえながら戦況に目を落とす。  完全防備ヒューマンはいつの間にかいなくなっていた。それが原因かは定かでないものの、十数分もすれば戦況は覆って『彼者誰(ヒノデ)』優勢となっているらしい。  多勢に無勢なら勝負は決したようなものだが、破竹の勢いの訳はそれだけではないだろう。向日葵の刺繍が一際映える六人組。彼らは抜群のチームワークで『珱死楊(オーシャン)』を下し、次々に数を減らしていった。  俺と完全防備ヒューマンの活躍は彼らの日の目を遅らせただけだったのである。  見てるだけなら結構楽しいものだ。  俺は二個目のハンバーガーをぺろりと平らげ、観戦を続けながら包み紙を畳む。学園に来てから本当に行儀が良くなったなと我ながら思う。  それもこれも、一年の頃に顧問やムギ達にしごかれたおかげ──……?  一瞬にして首筋が総毛立った。  視線の先にいるのは、無邪気に関節技をキメる双子と、その片割れ。  彼が倒したのは生き残りの『珱死楊(オーシャン)』メンバーだ。他は倒れるか倒されるかして、立っていられているのは『彼者誰(ヒノデ)』のみ。  彼らを祝福するかのように黄色のネオンライトが差し込み、敗者には一片の光も当たらず暗闇の中で伏している。一見するとそう見える。  しかし、俺は暗闇の側にいる。  だから眩しいところからは見えない、一人の男の後ろ姿が目に入っていた。  おそらく他の『珱死楊(オーシャン)』も同じだろう。誰も止めないのは彼らの性質の問題であり、純粋なる未必の故意だった。  傷の幹部は錆びたスパナを振り上げる。金属がちかりと煌めく。  その瞬間、ようやく会長がそれに気づく。彼は双子とは正反対の位置にいた。伸ばした手は届くはずもない。  その次に会計が危機を悟るも、そのときにはもう凶器は振り下ろされていた。  そんなコンマ数秒のうち、俺は足場のドラム缶を蹴り上げる。 「っな──!?」  バールを四十五度から振り下ろして右肩を打ち、一歩後退して下段の右肘、そして幹部の手から擦り抜けるスパナを空中で捕まえる。  あらぬところに落ちる前に拾えたことに安堵する。  幹部は打撲部位を庇いながらこちらを睨みつけていた。  俺は眉を寄せる。膝にゆとりを持たせるように曲げ、スパナを左手に、バールを右手に持ち、臨戦態勢に入った。  ガレージ中の視線が釘付けになるのを感じる。  けれど、唇には衒った醜い嘲笑を乗せる。  いつでも食らいつけるのだと示し、かつての友人を守るために。
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