─宵越し

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* 「どういうつもりだ?」 「さすがに殺人には加担したくねェもん。あと、アンタが“好きにしろ”っつったんだろ?」 「……貸しは無しにさせてもらう」 「お好きにどーぞォ」  鼻に一文字の傷を持つ男は粗野な溜息を吐いた。  彼とて分が悪いのは承知している。約束を反故にすることの体面の悪さも。  自らスカウトした首輪のない男を一瞥し、舌打ちする。  殺人未遂を行ったとは思えない冷静な表情に、双子の片割れは唇を噛んだ。  頭を庇って身を固くするもう一人を生徒会側に引き寄せて男から逃がす。さらに彼らを会計と補佐が自らの影に隠した。  幹部は学園生である身の上を隠してのチーム活動を行っている。この特攻服を着ているときに起こったことは、どんなことであろうと表沙汰にすることはない。その暗黙の了解があちらに漏れていたとするならば。  幹部達はそう考え、警戒を解くことはなかった。  沈黙が場を支配する。烏と蝙蝠が空を駆けている。  傷の男はひとつ舌打ちした。そして「行くぞ」と宛もなく声をかける──双子はそう思ったが、違った。 「『人魚』がお待ちだ」  すると次の瞬間、死屍累々の様相を呈していた『珱死楊(オーシャン)』が次々と起き上がり、ゾンビのようにふらつきながら幹部の後を追う。いっそ寒気がするほどの執念が彼らを突き動かしている。  残された男は、そんなおどろおどろしい光景を失望しきった目で見送り、バーガーのゴミを丸めた。  生徒会長はフードに隠された感情を見極めるように睥睨(へいげい)する。 「…………仲間じゃねえのか?」 「別にィ」  れろ、と口端の赤い液体を舐める。その姿はまさに魔性だった。男は血のように紅い唇を親指で拭い、マスクを着けスヌードを引き上げた。  生徒会長は再度口を開く。 「お前が“魔女”か?」 「ハ? 知るか。俺はそう名乗った覚えなんてねェけど?」  男は鬱雑ったそうに、鼓膜を直接引っ掻かれるみたいな淫猥で奇妙な声を発した。そしてさっさとその場を後にする。  一連の言動は何の工夫もないありふれたものだ。しかし、運悪く彼の流し目を受けたメンバーは不思議と腰砕けになって崩れ落ち、吐息を耳にした新人は喉元を掻き毟りながら息を荒げている。  ふっと会計が笑みを零す。  夜の街に詳しい者ならすぐに勘付くだろう。やはり彼は『魔女』である、と。  学園近域の夜は、国内の暴走族の掃き溜めだ。そんな中で孤独を貫いているのはたった二人だけ。それが『魔女』と『人魚』だ。  前者はここ数年からの出没だが、『人魚』は違う。その間十年。彼はこの街を自由気儘に闊歩し、そして誰もを惑わせてきた。  今夜は姿を現していないようだが、『人魚』の影響力は凄まじい。  この辺りを統治する『彼者誰(ヒノデ)』の末端さえ彼に夢中だ。おそらく前半の劣勢は、『人魚』に吹き込まれたらしい多様な“正しさ”の規範によって混乱が生じていたためだろう。  昭和、平成、令和と時代を経たことで、そういった規範がどんどんと移り変わっていったが、その変化についていけないのは老人だけではない。ヒノデはもともと“仁義を知る不良たれ”という意識のもとに結成されているため、その影響による“正しさ”の揺らぎは甚大だ。  今は、会長を筆頭とした幹部(生徒会)のカリスマだけで成り立っているようなものである。  『人魚』の掲げる“正しさ”に踊らされ、内側から食い荒らされている現状。  これを幹部が押し留められないとしたら、誰に止められるというのだろうか。いや、誰にも止められるものではないだろう。  『彼者誰(ヒノデ)』も、幹部がいなければオーシャンのようになっていたに違いない。 「あいつらってほんとに珱死楊(オーシャン)なのかな〜」 「……幸い、それは違うでしょうね」  会計の発した当然の疑問に副会長が答える。これには双子も同意見だ。  『珱死楊(オーシャン)』は伝説の暴走族への憧れから生まれたとされるが、今はただの半グレ集団に身を貶した。最近は強姦や殺人などの目に余る蛮行を働いているとも言われている。そんな彼らに、いくら『彼者誰(ヒノデ)』といえど“命じる権利”など意味を為すはずもない。  だからこそ、『彼者誰(ヒノデ)』側の真の目的は、『珱死楊(オーシャン)』に完膚なき敗北を教えることだった。身の程を理解させ自らを省みる材料に、ひいては治安の向上にもなるだろう──そんな見込みで果たし状を送ったのである。  蓋を開けてみればこの惨状ではあったけれども。生徒会長は死屍累々といった三割ほどのメンバーを見下ろし、頭が痛そうに溜息をついた。  本当は、いっそう劣悪になるだろうこの街の自治を任せるために、卒業後にもチームを残しておくつもりだった。  しかしこの体たらく。一部メンバーの追放やチーム自体の解散に向けて動くことも視野に入れておく必要がありそうだ。  まずは一喝して説教だが、まずは──生徒会長は逸れかけた思考を戻す。  誤算があった。  まず、『珱死楊(オーシャン)』の現状だ。非道さが増していた。行き過ぎた傷害による殺傷事件こそあれど、意図して誰かを死に至らしめようとする者はいなかった。そんな中、今夜の幹部による殺人未遂だ。しかも『人魚』ときた。こちらは心酔していないとみていたが、どうやら違った形でのめり込んでいたらしい。  もう一つは、『魔女』と乱入者の存在だ。もしも彼らが『珱死楊(オーシャン)』の人間なのだとしたら、本来の目論見は本当の意味で果たせなかったかもしれない。彼らは途中で自ら戦線離脱している。それもギブアップではない。「こいつらが戦ってたら勝てた」と周囲が言い出した場合、誰もそれを否定出来ないだろう。  しかしあの乱入者、彼は一体何者だ?  生徒会長の呟きに答える者はいない。空気を揺らすのは勝者と敗者の呻き声ばかりだった。  空が白み始める。六つの光背はやがて貧しい街を去り、綺羅びやかな城へと帰って行った。
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