─宵越し

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 ──健康診断の不参加が出た。風紀は医務室以外にいるFクラス生徒を確保、順次連行を頼むよ。  ──委員長の命令です。三年生は職員室へ。  ──定例会議で決まったことを説明する。放課後だよ。学年の代表に通達してね。  各メッセージの既読数が揃っていく。初めはその膨大な数に慄いていたが、今は寧ろ心強い。  朝は風紀室で書類業務、昼はその残り。いつ連絡が来ていいようにスマートフォンは常時通知オン。  以前は大勢いるうちの一人に過ぎなかった。それに比べ一分一秒がめまぐるしくてとても両立出来るとは思えなかったが、四月も半ばを迎えると風紀四位としての仕事にも慣れてきた。  おかけで勉強にも手を付けられる。Aクラスと違って進度が大幅に早いので、追いつくのでやっとだ。最近は暇を見てノートを開けるようになってきたが、まだ身についているとは言い難い。  放課後のバイトも休みっぱなしだ。菓子折りでも渡したいところだが、そこらで買うより美味しい物を作る彼らに渡せる品なんてどこで売っているかわからない。購買部という手もあるが……あそこにはあまり近寄りたくないし。  教師が教室に足を踏み入れるのを横目にスマートフォンの画面を落とそうとボタンに指で触れたが、その直前に新しいメッセージが来ていることに気づく。月ヶ瀬からだった。ポップアップされた「ところで今度の休みにでも…」という冒頭を読み、中を確認せずにポケットにしまう。  彼はやたら俺に近づく。顔を合わせれば絡まれ、画面越しにも言葉を尽くし、また顔を合わせて話の続きをする。休みの日は日がな一日構い倒されたこともある。  ただし俺の都合がつかないときは別だ。顔に出ているとは思いたくないが、忙しいときは彼もすんなり諦めるし、そもそも話しかけないときだってある。  鬱陶しく思われない瀬戸際を狙っているのは明白で、そこがまた複雑だ。優秀過ぎるのも考えものである。  ルーズリーフとペンケースを机に出し、何食わぬ顔で号令に従い立ち上がる。スマートフォンが再び震えることはなかった。月ヶ瀬は授業も疎かにしない。男癖の悪さ以外に非の打ち所のない男なのだった。  特別製のペンが透明なフィルムを走り、シャープペンシルそっくりのプラスティックペンシルがタブレットを打つ。  俺はひっそりと欠伸を噛み殺した。最近ずっと定期配信を連続して休んでいたので昨日長めに枠を取ったのだが、失敗だったかもしれない。癖でペン回しをしてから斜め後ろからの視線が痛いのである。  その刺々した視線の主が例の学級委員長だ。名前はまだ覚えていない。彼はなぜか態度の悪い生徒を改めさせたいらしく、御倉がようやく教室に現れると彼に付きっきりになってしまう。  それだけならいいのだが、残念なことに御倉は人気だ。タチネコランキングのタチ部門で十位に入るくらいにはファンが多い。  タチネコランキングというのは俺がそう呼んでいるだけで、正確に言うと『抱きたい・抱かれたいランキング』という。略して『抱き抱か』。  広報委員会が集計し発表する傍迷惑な娯楽だが、実は初期の生徒会が生徒の身を守るために情報収集していたのが原型らしい。  ちなみに俺は『抱きたい』で六位、『抱かれたい』で五位だ。生徒会と風紀、そして各委員の長などは大抵どちらかにランクインしている。つまり、何の役職にもついていないのにタチで名を連ねるほど御倉は特異的に人気なのである。  御倉に手を出すのは基本的にFクラスだけだ。それも去年のうちに大半を沈められ、今は誰も関わろうとしていない。  そんな中で委員長が声を上げてしまった。孤高の獣である彼を推したいファンに目をつけられるのも時間の問題だ。このクラスがA以下だったなら、既に粛清が起きていたかもしれない。  教師が出席番号で生徒を呼びながら、スクリーンに映し出される問の横に数字を記入する。すぐに斜め後ろでペンを走らせる音がした。指名された彼らが一斉に綴る数式に視線が集まったとき、俺は通路を挟んで隣にいる華奢な青年に目配せをした。白石律(しらいしりつ)。生徒会副会長であり、俺の幼馴染だ。  彼は教師がスクリーンの数式を注意深く読んでいるのをちらりと確認し、こちら側に少しだけ身を寄せて「何だ?」と応えた。俺も周囲に気づかれない程度に顔を傾けて「助けてくれねェの」と唇の動きを最小限にした小声で尋ねる。 「何から何をだ」  リツは貞淑そうな女顔に似合わない雑な口調で返す。 「委員長ォ。気づいてんだろ、あいつずっと俺のこと見てる」 「惚れてるんじゃないか」 「な訳あるか。目ェつけられてンだって。何でだ?」 「それこそ知らない。勝手にやってればいいだろ」 「チッ。バラすぞ」 「それはこっちの台詞だ」  片頬を上げて冷徹な笑みをつくる。やる気のない偽物の笑顔だ。教師が振り返り、生徒を席に戻しながら「では答え合わせしよう」と一問目に赤ペンを滑らせたので、俺達は知らん顔でペンシルを握った。  リツも普段の俺と同様、いやそれ以上に丁寧な態度で過ごしている。面倒な方向に意識の高い親に躾けられているからでもあるが、親の目の届かない学園でもそれを保っているのは、彼がこの特殊な場所でヘテロセクシュアルを維持する為である。ちなみに俺が勧めた。“慇懃無礼な腹黒副会長”という役は彼の繊細な容姿にもってこいだ。なお中身は言うまでもない。  つまり、彼と俺は共同戦線を張っているのだ。互いの目的の為にキャラクターを守ること。それが大して交流を持たない自分達を繋ぐ唯一の命綱であり枷だ。
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