─宵越し

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 最後の問にマルを付け、教師は「これで授業を終わる」と告げた。委員長の呼び掛けで起立礼を済ませ、教室が俄に騒がしくなる。リツは他の二年生徒会メンバーと連れ立って教室を出て行った。  机に散らかしていたルーズリーフとケースに入ったタブレット端末を急いで鞄に詰め、後を追うように見せかける。こうすることで声を掛けられることを防げる。扉の前でたむろする数人の生徒に困り顔を向けると、彼らは頬を染めて横に一歩避けた。俺がそこを通り抜けようとしたとき、塊から一人前に出る。 「あの、第四位様……今度、ぼぼぼぼくとお茶しませんか……? テラスの予約が取れたんです」  俺はとびきり優しい笑みを浮かべ、「ごめん」と眉を下げた。 「僕は風紀委員だから、きっと君とお茶をしたとしても途中で離席することがあるし、あまり長い時間構ってもあげられないと思う。せっかくだけど……」 「そ、ですよね、すみません……」 「誘ってくれてありがとう。嬉しかったよ」  俺は心から笑った。俺を誘ってくれたクラスメイトが少し目を潤ませて「……はい」と頬を緩める。今年のクラスは穏やかな人が多いみたいで少し安心したし、なにより俺を好いてくれる人がいるのは嬉しいことだ。  彼らに小さく手を降って別れ、少し軽い足取りで階段を下りる。  学園の教室は学年ごとに棟で分けられている。クラスは寮と同様の階にあるので、Sクラスは他よりも多くの段数を登り降りしなければならない。  エレベーターは完備されているが、俺は自分の容姿が優れていることを自覚しているので、なるべく個室に閉じ込められる時間は作りたくなかった。なお、寮の非常階段は人目がなさすぎて逆に危険なので例外とする。  一階から外に出て大通りを歩き、食堂に隣接されている喫茶店に入る。まだチャイムが鳴って間もないので客は疎らだ。  カフェエプロンを着たレジの男性店員がドアベルを聞いて振り返った。俺は軽く会釈して頬を緩める。 「いらっしゃいませ、真城様」 「様?」 「今日お客様でしょう?」  茶目っ気たっぷりににやつき、こちらへとカウンター席に招かれる。  俺は棚に挿してあるメニューに目を通した。相変わらずよくわからない横文字ばかりだ。近くに生徒がいるので、キャラブレしないよう小声で尋ねる。 「この、カヌレ……というのは……」 「フランスの伝統的な洋菓子です。香り付けの酒はお嫌いで?」 「いえ」 「なら気に入ると思いますよ。いかがでしょう」 「では、それをひとつ。あとはこのバケット。ソースはブルーベリーでお願いします」 「承りました」  男性店員──桐谷(きりたに)が「ちょっと待っててくださいね」と踵を返し、こつこつとヒールを鳴らしてバックへ戻る。  何をしに行ったのだろうか。俺は首を傾げつつ見送る。  ここは軽食屋を兼ねた喫茶店だ。実力のあるブリュワーズやコックが店を回しており、出される品は全て高級品。理事長によって直々に選抜される食堂の料理人が調理したものに負けず劣らずの品質らしい。  俺は貧乏舌なのであくまで聞いた話だが、そう考えると俺はそんなすごい場所でバイトしているのだと背筋が伸びる思いである。  当然ながら、腕の良い料理人が皆家柄に優れているとは限らない。なので、店員は全員踵の厚い革靴を着用している。転ばない程度に身長をかさ増しすることで、学園生が店員に横柄に振る舞うことを防いでいるのだ。  実はここの店長も学園生に混れるほどに実家が太いらしいが、あくまで伝聞の話なので真偽の程は不明である。  商品名と現物が一致しないのは店員としてよくないので、他に新作が出ていないか棚をチェックしていると、隣にいたそばかす顔の生徒が俺の目の前の品に手を伸ばした。  ハンバーガーである。ベーコンは厚切り、牛肉パテはジューシー。この店は腹ぺこの男子高校生にも優しいのである。ちなみに一番人気はBLTサンドで、この生徒が手に取ったのもそれだ。 「あっ! …………こ、こんな肉々しいものを買うところを真様に見られるなんて……」 「男子高校生なんだから普通のことだよ。僕も食べようかなって思ってたところなんだ」 「ばッ……バブみ……」  そばかす顔の生徒は呪文のように何かを唱えながらセルフレジに向かい、ぴぴっとバーコードを読み取らせじゃららっと代金を入れて去っていった。  その姿を見て思い出すのは、学園掲示板でも名の知れた一般腐男子“ドロンコ”である。  神絵師だったり神字書きだったりその他の偉業を成したわけではなく、単に入学直後に立てたスレッドが『神によるベーコンレタスバーガーを乗せる板』というクソダサタイトルだったため、やたら人の頭に残ってしまっただけだ。  BLの二番目くらいにハンバーガーを愛しているので食堂等の行動により一部に身バレしているとは聞いていたが、俺を目の前にして「真様」なんて明らかにカップリングの片方であろう呼び方をされたら、まあ察してしまうのも無理はないと思う。腐男子(あいつら)は本当にどこにでも沸く……しかも現実と混同しているケがあったし……。
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