春嵐 ─凪のあとに

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 遡るは数日前。  俺達は、バーにいた。  待て待てここは学校だろ? と耳を疑いたくなるだろうが、心配無用、ここは間違いなく学校だ。それもとびきり頭のおかしい学園である。  内装は星空のようだ。セクシーな照明を反射した黒大理石の床は、キュッキュと音が鳴るほどに磨き上げられている。金色の蝶番は沈黙していて、固く閉ざされた黒壇の扉には洒落っ気のある南京錠がかろんと引っ掛けられているが、その金属の肉は無骨なほど分厚く、ホームセンターで簡単に買えるペンチ程度では捩じ切ることも出来ないだろう。  ずらりと並べられたカウンター席では十四もの長い脚が投げ出され、伸ばされ、靴をぽいぽい脱いでいる者もいる。そしてやはり十四本の腕が細長いテーブルに思い思いの体勢で置かれ、そのいくつかはグラスを持っていた。  もちろんノンアルコールカクテルだ。ここ──購買部の地下のバーは、、未成年者には酒を出さないようにしているようだから。 「バ会長はエスケープですか」  グラスに口も付けずにそう言ったのは、幼馴染である白石律(しらいしりつ)である。  「そーみたいねー」と月ヶ瀬が冷たい空気を出し、リツは肩をすくめた。  向かって左側に跳ねるように流された前髪を触って首を傾ぐと、蛸や烏賊のように肩口まで伸びる濃いグレーのウルフがさわりと襟に擦れる。  続いて茶々を入れるのは庶務の双子だ。分け目だけ違う新緑の髪を揺らして、少年顔の半分を口にするみたいなダイナミックさでしゃべりだす。 「もーいつものことだけどー!」 「ボクらだけではじめちゃおー」  そう。今日、生徒会と風紀委員の一部がこうして集まったのは、他でもない。  ──入学式について話し合うためだ。  入学式なんてマニュアル通りにすればいいと俺は思うし、実際、例年では生徒会がステージに上がって黙りこくるだけで自動的に注目を集めているくらいで特筆すべきイベントでもないのだが……とある理由から、俺達はめちゃくちゃインパクトのある入学式を行わなければならないのだ。  だというのに、と言いたげな月ヶ瀬の圧のある気配を感じ、俺は身体の芯から震えた。この包容力の巨人を怒らせるとかどうやったら出来るんだマジで。 「インパクト、ね〜」  会計が、へらへらと軽薄に笑いながら何か言いたげに長いオレンジのの睫毛を伏せ、視線を巡らせた。  それに応じたのは月ヶ瀬だ。 「“インパクト如きで靡くならそれは学園生ではない”。そう言いたいんだろ?」 「あったりー! さすがは委員長、カンがいいねぇ」  ジューシーなリップを笑みに変えて会計が頷くと、話を聞いていなかったらしい双子がわいわい提案する。 「はいはぁい! ボク、劇やりたい!」 「ミュージカルみたいにしたーい!」 「ん〜……それは時間的に難しいんじゃないかな〜……?」 「「えー!」」  びぇっ!! と双子が泣き真似をする。  仲裁を試みたのは、我が友、生徒会補佐の千歳むぎである。大きな身体を小さくちぢこめながらも、その広い心が透けて見えるような柔らかい目で双子に寄り添って、 「たんぺんろうどく、なら、まだ……できそ……だけど……」  そう建設的に妥協しようとするが、双子は「「やだやだ!」」と首を振るばかり。  リツはそれを眺めて腹黒そうなくすくす笑いをし、月ヶ瀬は困ったような微笑。手綱を握れるのは少なくとも俺以外なのだから誰かなんとかしてほしい。  喧々諤々と話し合いが進む中、リツが聞き捨てならないことを言い出した。 「出し物をするのには私も反対です。いっそユエの言うようにライブするのが一番現実的──」 「そっ!」  「それは没ってことになっただろう、蒸し返さないでよ、恥ずかしいから……」慌てて俺は耳元で囁いた。念の為口調はそのままに。  しかしリツはつんとすまして「では他に案でも?」と頬杖をついた。自然と視線が俺に集まる。  副会長のリツの焦げ茶の瞳。一卵性双生児の黒い四つの(まなこ)。カラーコンタクトで明るくなった会計の眼球に、補佐であるムギの優しい眼差し。最後に月ヶ瀬の穏やかなグリーンアイズ。  俺は少し迷ってから、全員の目を順々に見つめ返して口を開く。 「では、学園生が最も注目しているものを作戦の要とするのはどうでしょう?」 「最も注目しているもの?」 「はい。それはつまり──」  「つまり……?」と、怪訝そうに、あるいは期待するように、面白そうに、一同が復唱する。  俺はたっぷり躊躇ってから口にした。 「貴方達です」  「…………あ〜」と納得の声が上がったのでほっとする。だから? とか言われるのではないかと気が気じゃなかったが、ここにいるメンバーはそんなこと口にするはずがない。優しいとかではない。そういう無遠慮の招く結果についてよくよく勉強させられたおぼっちゃまだからだ。  そして事実、俺の提案は冴えていないこともない。バラエティ豊かなキャラクター達はそこにいるだけで華となり得る。学園のみならず、16:9に切り抜いたらさぞかし再生回数が伸びるだろう。 「派手さや奇抜さではなく、自分達という優れた素材を活かす方向で考えろ、ということか。考えたな」 「ええ。外部生の一人として、僕はそう思います」  「……私も同意見ですね」とリツが同意した。これが決め手だったようで、ふむ、と会計が考える顔をし、ムギはもちろん、庶務も構想を練るように口々に話し始めた。それを見計らって月ヶ瀬が手を叩く。 「じゃあ、それを踏まえて具体的な案を出そうか」  「おー!」と返事をしたりしなかったしりつつ、俺達の初陣の計画が立てられた。  とはいっても作戦はシンプルだ。最低限のアウトラインだけ月ヶ瀬が詰めてやって──あの面子を統率出来るのは彼くらいだ──、あとは生徒会役員としての実力が試されるのみ。  そして当日の舞台袖、入学式の開始まであと十数分というとき、マイクやカメラの点検など、風紀委員としての仕事を終えた俺は、ステージ横の階段の足音を聞いた。  現れたのはリツとムギだった。真面目な二人なので一番乗りにやってきたようだ。 「ほ、ほんとに、うまくいく、かな……」 「どうでしょうね」 「……ん……でも、がんばる」 「ええ。もちろんです」  穏やかに言葉を交わす二人にそっと微笑んで、俺は気づかれる前に別の階段から体育館の床に降り立った。  そして入学式が始まる。
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