春嵐 ─凪のあとに

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 記念すべき最初の一日はまだ終わらない。  入学式後、新入生を寮棟に案内し、部屋割を各自のスマートフォンを経由して伝える。  例外はあるものの、治安の問題からクラスごとに階が分かれており、位が高いほど高層で、エレベーターに近いフロアほど学年が高い。内装は綺羅びやかかつ整然としており、小洒落たホテルのようだった。  そして、新入生達がちらちらと視線を送っているのは寮長室である。  一階のエントランスホールの横に設置されており、各廊下の監視カメラの映像等を確認する場所だ。初等部は寮暮らしに慣れるまでが長いというが、高等部ともなると騒ぎが起きることも減る。仕事は少ないらしい。  いまさっき事務的な理由で訪ねてみたところ、中にいたちみっこい寮長に開口一番「おはよう、真城(ましろ)!」と元気に手を振られた。現在の時刻は午後二時半だ。  入学式という晴れ舞台の程よく緊張した高揚感から開放された新入生達はよく喋る。  中等部からの持ち上がり制とはいえ、部屋割は一新されるし、クラスも何人かは上下する。今のうちに友人を作っておきたいという下心もあるだろう。あとはまあ、可愛い子を引っ掛けたいとか、そんなことを考える者の存在も否定出来ない。  新しい同寮生との挨拶や、既知との雑談。風紀による統制が効かなくなるほどのざわめきの中に「不定期配信が──」という会話を耳にして、つい聞き耳を立てる。すると別の集団から不意に「受け」という単語をキャッチしてしまい、にこやかな笑みを形作る両頬が引き攣った。  あいつらはどこにでも沸く。誰の個人の趣味においても指図する筋合いはないが、迷惑だけはかけないで欲しい。せめて「推し」で我慢しろ。月真(つきま)芽由(めゆえ)? そんなものは幻想だ。  十数人ずつエレベーターに乗せて男共を各階の部屋へぶち込むうちに喧騒は薄らいだが、却って話の内容がよく聞こえて頭を抱えそうになった。マナーのなっていない人間はいるものである。  総員を送り届け、同僚と共にエントランス脇のソファに腰を下ろした。  ふかふかの背凭れに身を預けた彼、毬颪芽蝋(いがらしめろ)は口に含んだキャンディの棒をくるりと回した。肩から緩いウェーブのかかった髪が零れ、羊羹みたいなインナーカラーが透けて見える。春休みの間に伸びたようだ。彼に風紀上位の仕事を教わったときは耳下程度だった覚えがある。 「あーあ、メロもあっちがよかった〜」 「快適だと聞くからね」 「ほんとに快適だもん」 「同室の方に同情するよ」 「それどういう意味?」 「いえ、なんでも」  生徒会と風紀第一位から第二位は高級マンションのような別棟の一人部屋を割り当てられる。  そしてメロは元風紀第二位、現三位だ。この口ぶりから察するに、去年はさぞかし自由気儘に暮らしていたに違いない。  繰り返すようだが、この学園は例によって特別扱いが発生する。  生徒会と風紀上位は食堂の二階席を利用出来たり、その場で全品無料になるカードを渡されたりするのは序の口。生徒会は授業の免除、風紀上位は空室使用の権限を持つ。  特筆すべきはオーダーメイドの万年筆だろう。  生徒会と風紀上位で色の違いはあれど、学園の権力を二分することを証明するように、その価値は等しく高い。これひとつで学園系列の施設にて融通を効かせることが出来るのだ。その価値と防犯的観点からGPSが内蔵されていることを見逃せば、とても役に立つ代物である。
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