春嵐 ─凪のあとに

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「ユエこそ同室者新しくなるじゃん。どんなコ?」 「書面では問題のない方みたいだけど……」  俺は眉を下げて苦笑する。  新しい生活には変化が伴う。求めていた穏やかな生活はすぐそこなのに、ままならないものだ。 「いすみんには勝てない?」 「まあ、あの人は元風紀だから。スタートが違うよ」  俺は去年まで同室だった先輩を思い浮かべながら微笑みを崩した。外部生は立場が脆弱だ。それを少しでも埋めるために、彼らを素行の良い風紀と同じ部屋に住まわせるという制度がある。俺もそれに救われた一人だ。  そして今度は手を差し伸べる側に回らなければならない。つまり、俺は先輩の庇護下から抜けることになる。  メロはそのことについて俺がこの一ヶ月間延々と悩み続けていたことを知っているので、真似するみたいに眉を下げた。  正直なところ、俺の中には未だに懸念が残っている。  俺は自他共に認める美形だ。幼い頃は少女と間違えられたし、今もどちらかといえば中性的と呼ばれるタイプのイケメンである。  いつも笑顔なのも得点が高い……というか単にきつい吊り目なので笑っていないと不機嫌だと思われてしまうから仕方なく優しそうな表情をしているのだが、それはともかくとして、ぱっと見、俺はカモなのだ。  ただ、俺はひとつだけ武器を持っている。  お行儀の宜しい御令息様共はご存知ないだろうが、俺はこの学園と酷似した作品群を知っているのだ。王道学園と呼ばれるそのジャンルと本学校の類似点はさておくとして、フラグの立ち方折り方はもちろん、存在しそうな属性(キャラクター)の殆どはこのジャンルで履修済だったのである。  あくまで知識として知っているだけだったので、改めて調べ直したときは頭を抱えたけれど。  ここまで言えばわかるかもしれないが、俺の導き出した防御策は、キャラ付けだ。  まるで価値のある宝石のように振る舞っていれば、少なくとも有象無象からは手を出しにくいと錯覚させることが出来る。ハイリスクハイリターンではあるが、編入生である時点で一般生徒よりは既に目をつけられているので、俺にはあってないようなリスクだ。  幸いなことに、弟の前で格好をつけようと王子様のように振る舞っていた時期があったので、気取りすぎない程度に優しげな態度は身についている。あとはそれを徹底するだけだった。  もちろんこれだけで安心するほど馬鹿ではない。ちょうど風紀委員会に勧誘を受けていたので、“風紀”という身分もありがたく頂戴した。あとは“風紀委員の王子様”というブランドをどれだけ強大なものに見せるか、そこにかかっている。  しかし、問題が起きた。俺は庶民だ。つまり権力がない。その上、王子様というキャラクターのせいで誰にも媚を売れない。  ここで月ヶ瀬先輩が出てくる。  彼は当時二年生でありながら風紀委員長だった。そして部下の大半が同学年か上級生で、引き継ぎが必要になった。誰でも簡単に指名出来たであろう彼は、なんと外部生である俺を側近兼部下に選んだ。風紀第四位の輝かしい席に選んだのである。  要するに、こうしてにこにこ笑っている俺はただの薄っぺらなはりぼてなのだ。  右も左もわからない外部生の盾になることなんて出来ないし、正直、見知らぬ下級生なんて助ける気にもならない。それなのに期待だけは背負わされてしまっている。  メロはきっと、俺が新しい同室者をどうやって守るかという点で悩んでいると思っているだろう。そういう風に振る舞ってきた。  だから俺は責任を全うする必要があるし、心底どうでもいい下級生を積極的に手助けしなければならない。完全に自分の手で首を絞めている状態だ。  キャラ設定をミスった感は否めないが──、現状では最も適切な“役”だ。  ギャップがあればあるほどに俺のプライベートは守られる。腕時計を横目に、薄く溜息をついた。  俺にはもうひとつ問題がある。絶対に隠さなければならない秘密だ。  「とにかく、仲良くなるところからですよね」と立ち上がる。これから入学式の後始末が待っているのだ。理事長に提出する書類もいくつか。  ぐっと伸びをしていると、メロが俺の肩に掌を載せた。またネイルが変わっている。今回は絵具が溶けたような模様だ。 「先に帰っていいよ〜。メロはもう新しいコと顔合わせ終わってるからね」 「そんなわけには……」 「いいからいいから! ほら、開いた〜!」  タイミングよく下りてきたエレベーターを指して勢いよく背中を押され、躓きそうになりながら中に入る。  メロはいつも楽しげだ。俺も彼を見習うべきかもしれない。俺は気持ちを切り替え、閉まる扉の奥に見えた花のような笑顔に笑い返す。  そうだ。怖気づいてなどいられない。この調子でもう二年持ちこたえるのだ。たくさんの秘密を守りきって、この学園を卒業し──目的を果たすために。
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