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来訪 / 1994.12
壁時計が秒針を刻んでいる。
戸建の二階に位置する六畳の一室、ベッドと勉強机と本棚と箪笥を置いただけの狭い空間を、僕は独り占めにしている。兄弟のいない僕の一人部屋だ。
僕はベッドの上に座ってその壁時計を眺めるのが好きだ。国産メーカーの無難な壁時計は、お洒落さとは程遠い。部屋を与えてもらった小学校入学当時、祖母は「もっと子供らしいものを」とキャラクターの絵がふんだんに描かれた壁時計をすすめてきたが、僕は断固としてそれを受け取らなかった。重要なのは文字盤ではなく、秒針の示す正確性だ。
「碧衣」
一階の階段下から、僕を呼ぶ母親の声が聞こえた。
「ちょっとこちらにいらっしゃい」
年越しまでもあとわずかの十二月二十九日、両親そろって新しい年を迎えるべく大掃除に精を出していた。冬休みになってから部屋に閉じこもっていた自分もそろそろ手伝わなければならないのかと諦めながら、眼鏡をかけ直した僕はベッドから降りて廊下に出る。スリッパ越しでもフローリングの冷たさが足裏に響いた。
両親のいるリビングに入ると、そこには見知らぬ顔があった。
「こんにちは」
僕と同年代の男だった。姿勢を正しくソファーに座っている男は、僕のクラスメイトにはいないような雰囲気を持っていて、程よく散らかったリビングには馴染まない。都会から片田舎にやって来た転校生のように、その存在自体が浮世離れしているような佇まいで、男は僕に微笑んだ。
「……誰?」
僕は男に応えず、男の前に座る父に訊ねた。
「何を言ってるんだ、親戚の宙君だろう」
台所からトレイを手に持った母は、絨毯に膝をついてカップをテーブルへと置いていった。
「宙君、コーヒー飲める? 急だったからこれしかなくてごめんなさいね」
宙と呼ばれた男の前には、我が家で一番きれいなカップが置かれる。花柄のカップは、不思議と宙に似合っていた。
いただきます、と丁寧に頭を下げてからコーヒーをブラックのまま飲み始めた宙を、僕は眼鏡のレンズ越しで観察する。リビングの窓から差し込む夕日によって、宙の栗色の髪がきらきらと光っている。人間はみな平等だと道徳で習ったけれど、そうではない事を今この瞬間に証明できそうだ。
記憶を探っても宙という名の男に聞き覚えのない僕をよそに、両親は宙と世間話を繰り広げていた。僕はこの状況の追及を諦めて、目の前に置かれたコーヒーを口に含む。酸味がかった苦みが食道をつたっていく。
「碧衣」
宙の前だからか余所行きの顔を張り付けた母が、朗らかに笑った。
「あなたの部屋も片付けなさいね。しばらく宙君に泊まってもらうんだから」
寝耳に水とはこの事だ、と僕は今度こそ呆然と宙を見上げた。まるで僕と正反対の雰囲気を持つ宙は、僕と目が合うなり「よろしく」と微笑んだ。
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