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手を振って去っていく謙太の姿を見送りながら、小千谷は二年前のことを思い出した。
馴染みの不動産屋から入居希望者がいると連絡が入った。内見もせず即決で購入するつもりだという。決して安くない買い物だ。その時点で不安を覚えた。
本契約の段階で初めて顔を合わせた時の龍之介は酷い有り様だった。
顔色は悪く、瘦せぎすで生気を感じない。
終始無言、良くて相槌を打つ程度。
淡々と契約書類にサインをして、小千谷と一度も目を合わせることなく手続きを済ませた。
龍之介の精神状態がまともでないことに気付いていた不動産屋は、近隣で管理人が常駐している唯一の物件であるこの分譲マンションを紹介した。
龍之介が自殺を図るのではと心配したからだ。
積極的に何かしなくても、放っておけば死にそうな状態ではあった。それとなく様子を見て、何かあれば助けになろうと小千谷は考えていた。
買い物は宅配。
ゴミ出しは早朝。
人との接触を避けて生活しているのだと悟り、こちらから声を掛けることせず、遠くから見守るだけに留めた。
度々訪ねてきていた龍之介の妹の存在も大きい。彼女はマンションに来る度に管理人の小千谷に『兄をよろしくお願いします』と頭を下げた。
結果として、龍之介は立ち直った。
入居から数ヶ月間は全く部屋から出ない生活をしていたが、何か心境の変化があったのだろう。そのうち在宅で出来る仕事を始め、徐々に外に出るようになった。
その頃には愛想笑いくらいは出来るようになっていた。
そして現在。
謙太が一緒に住むようになってから、龍之介は格段と明るくなった。挨拶以外の言葉を交わしたのは入居以来初めてだったかもしれない。もう見守らなくて大丈夫だと思えた。
「雨戸さんが纏さんを元気付けてくれたように、今度は纏さんが支えてくれるといいですねぇ」
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