383人が本棚に入れています
本棚に追加
/195ページ
第2話・奥さんに逃げられた男
マンションの廊下のど真ん中で蹲っていたのは親友の謙太だった。
彼が共有スペースで泣き喚いているものだから、近隣の住民が集まってきている。
「ケンタ!」
「リュウ! やっと来たァ!」
久しぶりに会った謙太は、仕事から帰ったばかりなのかスーツに薄いコートを羽織っていた。
短く刈られた黒髪と人懐こい眼は記憶の中の彼と変わらない。
ただ、今の状況だけが異常である。
涙目でこちらを見上げる謙太の腕の中には一歳にも満たない赤ん坊が収まっていた。こちらは眠っているが、先ほどまで泣いていたようで目の下に涙の筋が見える。
集まっていた住民たちには「お騒がせしてすみません」と頭を下げてお帰りいただき、龍之介は急いで謙太の手を引いて彼の部屋に逃げるように駆け込んだ。
鍵を掛け、二人揃って深い溜め息をつく。
「なんで表に出てんだよ」
「だ、だって、おまえが来るの遅いから」
「三十分掛かるって言ったろ。まだ二十五分しか経ってないぞ」
「仕方ないだろ、子どもと二人きりで心細かったんだ」
「二人きり???」
改めて室内を見回してみれば、この時間帯ならば必ず居るであろう人物の姿が見当たらなかった。
「ケンタ、寧花さんは?」
「…………出てった」
それを聞いて、ようやく龍之介は謙太がここまで慌てふためいて取り乱していた理由を理解した。
「えー、つまり、奥さんが子ども置いて家出したってこと?」
「……その通りです」
平日ど真ん中の夜九時半。
謙太はもちろん明日も仕事だ。
しかし、奥さんがいなければ昼間子どもの面倒を見る人はいない。
「なんで? いつから?」
「い、一時間くらい前に、オレが帰ってきたのと入れ替わりで旅行カバン持って出てった」
「連絡は?」
「スマホの電源切られてる」
「寧花さんの実家とか共通の知り合いとかは」
「……実家には電話したけど繋がらなかった。寧花の友達の連絡先はわからん」
尋ねる度にしょぼくれていく謙太の姿を見て、龍之介は呆れたように肩をすくめた。
最初のコメントを投稿しよう!