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人を嫌いにならないのが良い人。
そもそもそんな認識からおかしい。
誰しもそりの合わない人は絶対にいる。
誰かと正反対の人がいる限り。
つまり誰も嫌わないなんてのは人に合わせてるだけ。
そう、彼はきっと偽善者だ。
「千佳ー、また友くん見てる。今度こそ惚れちゃった?」
「いや全く」
「だよねぇ」
カラカラ笑うのは渚。ちょっと腹の黒い友達、という表現がしっくりくる。
飯塚くんがこっちに気付いて手を振る。
私は騙されない。
絶対、裏があるはずだ。
私が暴いてやる。
「ね、井出さんって俺のこと嫌いだよね?」
裏を暴くと意気込んだその二時限後、飯塚くんはあろうことか私と弁当を食べに私の席までのこのこやって来た。
眉を顰めて弁当を抱え、立ち上がる。
速足で教室を出ると、なぜか飯塚くんもついてきた。
「…他にお友達なんていくらでもいるんだから、私と食べなくてもいいでしょ」
「うーん、俺の質問聞こえてたかなぁ」
眉をハの字にして首を傾げる。
クラスの男子がカップルだとかラブラブだとか囃したて始める。
面倒だ。
速足でまた教室から離れる。
なのに、やはり飯塚くんもついてきた。
無視だ。
無視し続けたらきっといなくなる。
イラつきながら階段をのぼり、屋上まで上がる。
私、もう息があがってる。
でもこれで飯塚くんをまけた…。
「しんどそうだけど、大丈夫?俺、お弁当持とうか」
「なっ!」
後ろに人影がないことを確認してホッと前を向けば、飯塚くんがそう言って笑顔で私の弁当箱に手をのばした。
…腹立つ。
なんで追いかけてくるのよ。
キッと睨んで椅子に座る。
飯塚くんは当然のように横に座った。
ああ、もういい。
これはチャンスだと思おう。
コイツの裏を暴くチャンスだ。
みんなは騙されている。だから私がこいつの本音を晒してやるんだ。
「ねえ、さっきの話だけどさ。井出さんって俺のこと嫌い?」
「嫌い。気持ち悪い」
八方美人なのは分かってる。
きっと裏では階段を上がっただけで肩で息をしている私を笑っているのだ。
「そっかー。俺は好きだよ」
「そうですか。どうせ嫌いな人はいないとか言うんでしょう」
弁当の包みを開いて箸を取り出しながら、適当に返した。
飯塚くんははやくも咀嚼していたタコさんウインナーを呑み込んで答える。
「んー…そうだね。いないかも」
「嘘つき。そんなことはありえない」
飯塚くんは口に入れようとした卵焼きを弁当に戻した。
いただきます。
自分のお弁当に手を合わせ、ご飯を一口食べる。
「人を多面的に見るんだよ。イヤなところ見るたびに人を嫌ってたらキリないだろ。好きなとこ一つでも多く見つけて、好きになるんだよ」
「なんでそう友達を作りたがるんですか」
新たに望まなくても、この学校だけで山ほど友人がいる。
それをまだ足りないと思うのなら強欲だ。
ただしごはんをもごもごしているのでこれは口には出せないが。
「友也だから?」
「ふざけないでください」
「んー…」
飯塚くんが珍しく笑みを消して、考え込んでいるようだ。
その姿はひどく絵になった。なんか悔しい。
「…例えば俺が君を嫌いになったとするね?そしたら、君を見る度俺は嫌な気持ちになる。でも君を好きになれば、君を見るたび幸せになれるでしょ?同じようにたくさんの人が俺を好いてくれたら、俺を見るたびにみんながハッピー!なんて…」
「だから八方美人なんですか」
ごはんを飲み込んで問う。
反対に彼はさっきの卵焼きを口に入れた。
「人聞き悪いなぁ。まあでもそうなるね。自分もみんなも幸せになれるなら、八方美人でもいいかな」
…ほら、また「いい人」の答えだ。
どうすればこの人の化けの皮は剥がれるんだろう?
人に嫌われない答え。
だから私に嫌われる。
完璧な人間なんていない。
もしいるのなら、その人が地球温暖化も官僚の不祥事も丸く収めて解決してるだろう。
そうじゃないってことは、みんな欠陥があるということだ。
飯塚くんのように多くを与えられた人は、何か重大な欠点をその代わりに背負っている。
ちょっとの自慢がその重大な欠点?
そんなことない。
もっと大きな何かだ。
みんながハッピーになれるから八方美人でいる?そんなのどう考えたって自分に負担がかかりすぎる。
自己犠牲。
利他主義。
そんな小綺麗な言葉に飾り立てられた社交辞令だ。
「どうして欠点のない人間を演じようとするんですか」
すると、飯塚くんはきょとんと私を見た。
数秒後、ぷ、と噴き出す。
む。
「あっはは、おかしなこと言うなあ井出さん。俺って欠点だらけだよ。例えばほら、俺自慢が多いし」
「自分で分かってるのになおさないんですか?それは、完璧すぎて敬遠されないようにするための工作でしょうか」
「違う違う。そうだなぁ…」
飯塚くんは私から視線を外して前を向くと、膝の上に肘をついて顎をのせた。
短い沈黙。
「…自慢…してないと、俺の価値が無くなっちゃう気がして」
は?
何を言っているんだこの人は。
”勉強ができて、顔がそこそこよくて、明るい。
運動はちょっと苦手だけど、声が綺麗で歌がうまくて、画力も少しある。
スタイルがよくて、優しくて、ちょっとした自慢をすることがあるけど人気者。
何より正直者で、「人を嫌わない」いい人。”
こんな長所の塊みたいな人が。
「嘘じゃないよ」
心なしか自嘲気味に笑って細めた眼が私を映した。
「俺は俺をつまらない人間だと思ってるから。どうにかして自分のいいところを知ってもらって、少しでも自分の価値を高めて好いてもらわないと、捨てられてしまう気がするんだ。だから…」
アルファベットのAを紡ぐ形のまま、ふと唇が動きをとめた。
再び沈黙がおりて、風邪がさっと二人の間に割り込んだ。
それをきっかけにするように、飯塚くんの睫毛が一瞬震える。
と、
「あー!!やっぱダメだな」
さっきまでの儚げな雰囲気を投げ捨てて、彼はぐいっとのびをした。
何か諦めたようなため息を肺から投げ出して、ハハッと困ったように笑う飯塚くん。
「なんか、これ俺の本音のはずなんだけどさ…なんかもう…ぜんぶ、お飾りの建前みたいに思えてくる」
お飾りの建前。
私が彼の言葉に感じていたのは間違いなくそれだ。
本人の口から出てきたことに驚く。
「うん、たぶん君には見えてたんだろうな。”俺”が。だから、俺が嫌い」
「どういうことですか?分かっていながらまだ甘ったるいセリフ吐き続けて格好いいとでも言う気ですか」
なんだろう。
怒りとも悲しみともつかない感情が肺からせり上がって、勝手に言葉になって出てくる。
「八方美人になる理由も自慢が多い理由も、なんで俺はそうしてるのかって考えて出した結論をただ言葉にして紡いでるだけなんだ。…けどなんでだろ。君と話していると全部嘘くさく聞こえて、気持ち悪い」
肘をついたまま飯塚くんは片手で目を覆った。
息をすぅとやわらかく吸い込んだ唇が、ほんの少し震えてぽつりと言葉を吐きだした。
「心…そこで落としたんだろ、俺」
三度目の沈黙。
でも一度目よりも二度目よりも息苦しい気がする。
裏を暴くって意気込んでたのは私だったのに、なんだか今は下を向いた彼の背中が小さい。
哀れ…いや、幼い子供みたいだ。
「俺さー…井出さんと話そうと思ってたんだよね」
「え、何で」
「井出さんは俺のこと嫌いでしょ?」
こくりと肯く。
「友達はみんなそんなことないよって言ってくれるから。でも君は好きなように俺を詰るだろ?」
詰るなんて人聞きの悪いことを。
でも、そのとおりではある。
「なんか、気楽かなぁって」
「矛盾してますよ。言ってる事」
飯塚くんが水筒の蓋をあけながら私を見る。
「好きな人といる方がハッピーなはずなのに、飯塚くんを嫌ってる私といて気楽って」
「…確かにね。はは、気付かなかった。なんだこれ、俺いよいよ八方美人でいる必要なくない?」
笑いながら麦茶を喉に流し込む。
私はもうひとかけらごはんを口に運んだ。
「ま、だから君と話してみたかった。今日、いつにもまして俺を睨んでたからさ、チャンスかなって」
「善人ぶってる野郎の裏を暴いてやろうと思って」
「してやられたねぇ」
また笑う。
「…ねえ井出さん、俺って善人になれるかな」
唐突に口を開いたと思えば…。
話していて思ったけど、この人は腹の黒い善人なのかもしれない。
だとしたらもう達成しているのかもしれないが…そう言ってしまうのは癪だ。
「ね、どうだろ」
「…悪人になるよりはいいんじゃないですか」
「わーお辛辣」
じゃあさ、と言いながら飯塚くんは自分の卵焼きを私の口に突っ込んだ。
うぐ!?
慌ててもぐもぐ口を動かす。
「恋人ならどう?」
「は?」
咀嚼した卵焼きが胃にするりと落ちる勢いで私は呆れを口にした。
「無理です」
「んじゃ友達」
「…なんでそんなこと聞くんですか」
二個目の卵焼きを私の方に向けていた飯塚くんの手を押さえつける。
「これはたぶん”俺”の意見だと思うけど。
俺思ってたより、っていうか結構井出さん好きかもしれない。恋人の申し込みするくらいには」
「悪人ではないけど馬鹿ですね」
「え、なんで?ずっと話したかったって言ったし察してくれると思ったんだけど」
「無理です」
「まあまあ」
そう言いつつ笑った飯塚くんは、強引に卵焼きを私の口に押し込んだのであった。
屋上のベンチで二人が弁当を食べる風景が日常となったのは、まだもう少し先の話。
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