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俺は涼のその、ただひたすらに美夜ちゃんを想う、美夜ちゃんだけを想う故の行いに胸が詰まり、すぐには言葉を返せなかった。
涼が美夜ちゃんの首にキスをしたのは、欲望が暴走した結果などではなかった。
ただひたすらに美夜ちゃんを救いたいがため、彼女を苦しめる忌まわしい記憶を消すため。そして他の男のことなど思い出させないため。
こんなにも美しく純粋な独占欲を俺は知らない。
首にキスをするなど艶めかしい行為のはずなのに、何故か俺には神聖に響いた。それは涼の真っすぐでひたむきな想いが尊く感じられたからだろう。
そんな俺の敬意がこもった眼差しに嘘をつくわけにはいかないとでも思ったのか、涼は苦笑しながら付け加えた。
「途中からはそんな大義名分、頭から吹っ飛んで、全部俺のものにしたいって夢中で抱きしめてたけどな。」
「…そうか。」
まあ、そうなるよな。
そいつは仕方ない。当然の展開だろう。何と言っても、喉から手が出るほど欲しい女を初めて抱きしめたんだから。
余裕を失くしていく涼を目の当たりにして、美夜ちゃんは怖くなって涼の腕の中から逃げ出した。そういったところか…。
そんな事件に付随しての「抱きしめて首にキス」なら、ちょっと話は変わってくる気がした。涼の純粋な恋心など美夜ちゃんには伝わっていないかもしれない。
「とりあえず…よかったな、美夜ちゃんを助けられて。」
そこだけは間違いない。だから涼も「ああ。」と頷いてみせた。
相槌を打つ涼のその姿は複雑な感情が絡まっているように見える。
美夜ちゃんを助けられたことへの安堵、自分が触れることもできなかった美夜ちゃんの体に汚い手で触れた変質者への怒り、美夜ちゃんが負った恐怖、その恐怖を拭い去ってやることができたのか…
今は会うこともできなくなってしまった美夜ちゃんとの思い出話に、切なくて複雑な表情を浮かべる涼を前にして、俺はやっぱりどんな言葉をかければいいのかわからなかった。まるであの卒業式の日と同じだ。
俺は黙って、目の前で卒業祝いのケーキを食べる涼を見つめていた。
涼が悔いを残さず終止符を打てたのか、俺にはわからない。
ただ、俺はどこかで信じていた。涼と美夜ちゃんの絆というものを。
二人の運命は、こんなところで途切れるようなものではないはずだ。自分にとって本当に必要な人とは、しかるべきタイミングで、また人生が交わるようにできている。俺はそう思っている。
そもそも涼はわかっていない。
人生のうちで心の底からこいつが欲しいと思える相手に出会えることなど、そう何度もあることじゃない。涼はそんな相手に十五歳で出会えたのだ。
それがどれだけすごいことか、この後、嫌というほど思い知らされるに決まっている。
そして気付くはずだ。この女をあきらめてはいけないと。
あんな風に信じ切った目を向けてくれる女を手に入れずにあきらめるなんて、愚か者のすることだ。
涼はそこまで馬鹿じゃない。
だから、いつかまた涼と美夜ちゃんがこの「セルリアンブルー」に二人そろって来てくれる、俺はそんな予感がしていた。
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