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話の内容もさる事ながら、中性的な美しさを持つ九条の微笑みは蒼井の心に破壊的な動揺を与えた。性別を超えた美人の笑顔は有無を言わせぬ武器なのだ。それは人間の正常な思考を阻害ほどに。それを九条は絶対に分かってやっているところがあざといし怖い。
九条に見つめられ時が止まったように感じた蒼井だったが実際には瞬き一つするくらいしか経っていないほんの一瞬の出来事だった。
直ぐに九条の笑顔という衝撃から我に帰った蒼井は、なぜブルーローズのオーナーである九条がピアニストである蒼井の『心の声が聞こえる』という秘密を知っているのか不思議でならなかった。これまでそんな素振りなど露ほども見せたことなどなかったのに。
そして蒼井は常々九条のことを少し変わった人だとは思っていたが、これはもう変わったで済まされる次元ではないと思った。おそらく、いやほぼ確実に九条は人の心の声が聞こえるのだろう。蒼井が九条から感じていた”得体の知れない何か”の存在は疑惑から確信に変わっていた。
人の心の声が聞こえる世界は心穏やかでは居られない世界だ。物理的には1人で居るのに心の中では1人では無い、そんな不均衡な世界。
『もしそれがコントロールできるのなら突然心の静寂を乱されることも無くなるのかも知れない』そう考えた蒼井はどんな理由であれ九条の話に乗ってみるのも面白そうだと思ったのだ。
『それにもし何か変化が訪れるなら過去へ行くのは良いきっかけになるはずだ、それだけは間違いない』そう蒼井は自分に言い聞かせた。
九条は 「次元の監視ができるのは限られた人だけだ」と言っていた。蒼井が九条の言うその限られた人なのだとしたら断る理由はどこにもない。それに今それを断ったらもう次はないのだと蒼井の直感が訴えかけていた。
「僕で良いのなら、行きます……過去へ」
気付けばそんな言葉が蒼井の口から出ていた。すると突然九条が大きな言葉を発した。
「天ヶ瀬、そこにいるんだろう」
不意に九条がドアへと向かって話し始めたと思ったと同時に控室と廊下をつなぐドアが開いた。
『気配はなかったのに天ヶ瀬さんいつからいたんだろう』蒼井がそう思っているとすぐに九条が話を続けた。
「過去へは天ヶ瀬と一緒に行ってもらうから。1人じゃないから蒼井くんも安心でしょ。分からないことがあったら彼に聞いて、あれでいて結構使える先生だから」
「全く人をなんだと思っているんだか…… 先生じゃないですよ、引率者みたいなものです」
『いや、それは先生で良いのでは……』と蒼井は思うものの口には出さないでおいた。口に出しても出さなくても九条には筒抜けなのだが。
「さあ、監視対象は早めに追いかけた方がいい。対象者は随分と焦っていたからね。天ヶ瀬、悪いけど今日は蒼井くんもいるからこの扉から行ってくれる」
九条がそう言葉にした瞬間、青く輝く幻想的な光を放つ扉が現れた。
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