10人が本棚に入れています
本棚に追加
ベルの音
10月20日
チリンチリーン……。
来客を知らせるベルの音が鳴り響いた。
九条薫は徐に音のする方へと視線を動かし、これから起こるであろう事態に備えた。
「2回か……」
つい口をついて出た言葉に苦笑し、この店の店主である九条薫は長い黒髪をかきあげながら表情を無に戻した。細身で長身それに加えて美しい中性的な顔立ちは、無表情になるとかなりの威圧感を感じさせる。
九条は店に向かうため、今いる控室にしては広めの部屋から店へと通じる扉を開いた。店に入るとそこには見知らぬ女性が1人立っていた。女性は九条と目があうと遠慮がちに声を出した。
「この店に来れば時間旅行に行けると聞いてきたのですが……」
九条はその質問にだけ答えた。
「えぇ、そうですね」
すると突然、女は人が変わったかの如く早口で捲し立てるように叫び出した。
「 過去へ行きたいんです、すぐに行きたいんです。一刻も早く過去へ行けるようにして下さい。お願いします」
そこにはサーモンピンクのシンプルなワンピースを着てブランド物と一目でわかるバッグを持ち、肩口で切り揃えられた黒髪ストレートヘアーの女がいた。
見た目は清楚な感じなのに内面から醸し出される雰囲気はドロドロとした影を引き摺るような重たい空気を纏う女だった。
九条薫はその姿を確認し、『あまり関わりたくないな』と思うもののそんな思いは一切表情には出さず一応客として相手をすることにした。
「お金ならいくらでもお支払いします。 1分1秒でも早く過去へ行きたいんです! お願いします!!」
一方的に捲し立てる女の言葉は何かを依頼するものであるはずなのに、そんな言葉とは裏腹に当然のように見下す態度で店主を見据えていた。全くもって人にものを頼む態度ではない。お願いという言葉の意味を知っているのだろうか。
『やはり、どこかの金持ちか何からしいな。金である程度の幸せは買えるかもしれないけど、金で全てが手に入るわけではないのに……』
九条薫の心に漣が起こるものの、沈黙している彼の表情筋に仕事をさせることはできなかった。
最初のコメントを投稿しよう!