第一章 遥の魔法のドロップス

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ひとりぼっちで、あてもなく歩いてた。 自分の名前と同じ淡いピンク色のボストンバック片手に、私には、目的地も行く宛もなかった。 もうどこでもいい。誰も知らないとこに行けたら。いっそ、 ーーーー全部忘れられたら。 都内の、とある商店街の突き当たりにある、ナントカ神社の鳥居を左に曲がって、豆腐屋さんの角を右。その斜め前のどこにでもありふれた雑居ビルの2階に、そのお店はあった。 「忘れさせます」「一夜限り大歓迎」  ーーーー忘れさせ屋 店主。 半紙に墨で丁寧に楷書で書かれている、思わず誰もが二度見してしまうような奇抜な文言が、外から読めるように紙で窓に貼り付けてある。 私は、迷わず雑居ビルの2階に向かった。 剥き出しのコンクリの階段を登ると、木製のアンティークなお洒落な扉にたどり着く。扉の上部の小窓は、ステンドグラスになっている。なぜだが、この扉が、別世界の入り口かのような、錯覚に陥った私は、一瞬足がすくんだ。 まさか、自分がこんな所のドアを叩くとは思っても見なかったから。 『忘れさせ屋』 扉横のフックに掛けてある木製看板を二度見して、深呼吸をすると、私は、勢い良く扉を開けた。開くと同時にカランと扉のベルが鳴る。 「おせーよ」  「え?」 扉を開けた途端、部屋全体から漂う懐かしい匂い。鼻に掠める甘い香り。そして、その声は、少し高めの耳触りの良い甘い声だった。 茶色の上質な皮のソファーに身を預けて、長い脚を組んだ赤茶の髪の男がこちらをじっと見ている。  「あー、人まちがえ。ってゆーか誰?」 途端に足がすくむ。男はサングラスをかけていて、顔がよくわからない。よく分からないけれど、鼻筋の通った鼻と、形の良い薄い唇に勝手に理想の目元を合成して、端正な顔を想像してしまう。 「何?座れば?」 見知らぬ男性と話す緊張感から硬直して突っ立ったままの私は、ぶっきらぼうに投げかけれた甘い声に吸い寄せられるようにして、男の真向かいの木製椅子に座った。
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