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TAKE 50 堕落
昨夜、僕は享祐の部屋に泊まってしまった。打ち上げの興奮や酔いもあって、いつも以上に燃え上がったからなんだけど、少し恥ずかしい。
「珈琲飲むか?」
目が覚めると、僕はベッドに一人。リビングの方から、香しい珈琲の香りがしてた。
「うん」
おずおずと寝室を出ると、キッチンに享祐の姿が。上半身裸のままで、逞しい胸筋が眩しかった。
二人でモーニング珈琲なんて、歌にもあったような。だけど、こんなにも幸せな気分だなんて、僕は知らなかったよ。おはようのキスは珈琲の香りがした。
『伊織さん、オーディションの結果が出ましたっ』
部屋に戻ってすぐ、東さんから電話が来た。例の最終審査まで残ったヤツだ。
「それで、それでどうだったの?」
焦ってスマホを耳にこすり付けてる僕に、東さんは勿体ぶってこほんと咳を一つした。
「東さんっつ!」
少し語気を荒げると、スマホの向こうで笑い声が。
『もちろん、合格ですよ。おめでとうございますっ』
ま、マジで……。
「や、やった……。東さん、ホントだよね? 嘘ついてないよね。また何かの勘違いとか……」
『本当ですよ。もう、そんなドジしませんから。これから事務所に行きますので、一緒に行きましょう。三十分後にエントランスのロビーで』
「あ、うん。了解ですっ」
僕は慌ててシャワーを浴び、支度した。ちょっと見た目のいいジャケットにテーパードパンツを穿き、三十分後には、一階に降りることができた。
――――あ、そうだ。享祐に連絡しなきゃ。
僕はスマホの個人認証を解除し、履歴を呼び出す。俯いて作業をしていたその時。
「あの……三條伊織さん、ですよね」
「は……い」
エレベーターホールにはマンションの住人以外は入れない。東さんは僕の部屋のパスワードを知ってるから入れるけれど。ということは、住人の誰かだろうか。
目の前には、記者とかレポーターではなく、普通の格好をした女性がいた。
白いブラウスに紺色のカーディガン、花柄の膝丈スカート。仕事に行くというより、オフのお出かけスタイルだ。
「なにか……」
何だろう。長いストレートの黒髪が綺麗で日本人形のよう。美人と言えなくもないけれど、化粧っ気がないので年齢がわからない。20代……かな。
彼女が口を開こうとした時、誰かがエレベーターから降りて来た。そのまま通り過ぎるのを見送ってるのは、聞かれたらマズイことでも言うつもりなんだろうか。
――――でも……どっかで見たことがあるような……。
僕はスマホを片手に持ったまま、記憶の中を探る。
「あ、もしかして……」
何度かこのマンションの周りで見たことがあった。そうだ。雑誌記者とかがたむろしてたころ。
「あなたは、越前享祐を堕落させている」
「え……」
さっきとは全く違う声色が、薄い唇から放たれた。ホラー映画に登場するような、低く恨みがこもったような、機械的な声。睨みつける双眸に背筋がひゅっと鳴った。
「私はずっと我慢してたんだっ。なのに、続編だと? ふざけんな」
「待って、落ち着いてください。あの……っ」
混乱する僕の目に、彼女が腹の辺りに置かれた手が映った。それは暖色系のライトを反射して鈍く光ってる。
「あ、やめっ!」
エントランスに東さんが入ってくるのが見えた。
「東さんっ!」
「ぎゃあああっああっ」
断末魔のような声がロビーに響く。その声は、僕が発するべきじゃないのかと、馬鹿なことを考えた。
「うそ……」
すぐ目の下に、ストレートの黒髪があった。そして、強烈な痛みが……。
「伊織さんっ!!」
東さんの見たこともないような顔がちらりと目に入った。そんなに大きく見開いたら、目玉が落ちちゃうよ……。
僕が覚えているのは、そこまでだった。
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