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TAKE 28 甘美な時
これはお芝居じゃなかったのか? 嘘で秘密の関係。僕の役作りのための……。
「伊織……」
享祐の唇が僕の首筋を這っていく。右手は今にもバスローブを剥いでしまいそうだ。腰に巻いた帯を解き、ぱらりと落ちた。自分の胸がはだけていくのがわかる。
「あ……んん、享祐……」
抗いたい気持ちとこのままのめり込みたい思いが凌ぎ合う。享祐に抱かれて嬉しくないわけはないんだ。
――――だけど……。
「享祐は知ってたの? 僕が、いつもスタジオとか近場のロケ地に行ってたの……。マンションも……」
僕のデコルテを這っていた唇がつと止まった。そしてふうと息を吐き、僕の顔のところまで戻って来た。
「知ってたよ。誰かなって、気になって……ググった」
「じゃ……じゃあ」
「マンションに越してきたのも知ってた。偶然、引っ越しの日に見かけたんだ」
「え……そうなんだ……」
「でも、俺はそんなに自惚れてないから。俺だって若いころ、憧れや目標としてた俳優のリハなんかには見に行ったし」
僕ははだけたバスローブの襟を持ち、肌を隠した。残念そうにそれを見つめる享祐。
「だから、候補者リストに伊織の名前があった時は嬉しかったな」
「それって、やっぱり享祐が僕を推薦したの?」
「違うよ。俺はリストを見ただけだ。誤解するな。おまえを選んだのは監督だ。自信を持っていいんだよ」
自信……。いや、それよりも享祐の言うことを信じるべきだよな。それに、決めたじゃないか。結果が全てだって。
「なあ……。もう止めにしないか?」
「止める? な、なにを?」
享祐は背もたれに肘をつき、反対の手の指で僕のデコルテで字を書くように動かした。こそぐったい……。
「お互い、正直になるってことだよ。『恋愛ごっこ』でない。本当の」
「それは……その」
「まさか、本気で思ってた? これは『役作り』のためだって」
それは……少しは疑った時もあったけど。
「俺は、伊織が好きだ」
――――スキ? スキってなんだっけ。スキヤキ、スキー……
「好きっ!?」
飛び上がりそうな心臓が僕の体を跳ねさせる。真正面に享祐の顔があった。黒目勝ちな瞳が二つ。僕を食い入るように見ている。
「あの、あの……」
「何も言わなくていいから……大人しくしてて」
もう一度、享祐の手が僕の頬から後頭部へと進み、顎を上にと向かせた。
「目、閉じてくれないか」
言われるまま、瞼を閉じる。僕の脳内の処理能力は完全にストップし、言われるがままだ。ゆっくりと落とされた享祐の柔らかい唇。僕らは再び口づけを交わす。
その後は、深い碧一色の湖に溺れるような、苦しくも愛おしい、甘美な時が流れていった。
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