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TAKE 3 試しておかない?
実は、彼が同じマンションに住んでいたことを僕は知っていた。1LDK中心の単身者向け賃貸。
セキュリティーがしっかりしているので他にも独身芸能人やミュージシャンが住んでいる。
上階に行くほど部屋が豪華になるのが高層マンションあるあるで、僕は一般的なタイプだ。越前さんは最上階の一番広くて高額なところに住んでるんだよね。
一般タイプとはいえ、まだまだ売れ始めたばかりの僕には贅沢だったけど、どうしてもここに住みたかった。
それはもちろん、憧れの越前さんが住んでるからだ。ただ、越してきて半年、まだここで彼と会ったことはなかった。
「あの、散らかってますが……どうぞ」
越前さんがエレベーターでこの部屋に来る間、僕ができたのは写真集を本棚にしまうくらいだ。リビングに取っ散らかっていたモバイルやらペットボトルを両手に抱えたままで迎えた。
「急に申し訳ない」
白Tシャツに浅葱色のジャケットを羽織ったラフな姿の越前さん。デニムに合わせたようなお洒落なスニーカーを脱いでいる。
「いえ、全然大丈夫です……でも驚きました」
共演を聞いてからまだ一時間くらいしか経ってない。でも、越前さんは当然知っているだろう。だからこそ、今ここに来たんだ。ここの住所はマネージャーにでも聞いたのかな。
――――まさか、辞退しろとか……そういうことかも。
僕は悪い方ばかりを考え狼狽えてしまった。テレビ局ですれ違ったり、出演されているスタジオにこっそり見学に行ったことはあるけど、ちゃんとした面識はないはずだ。
――――もしかして、ストーカーとか思われてるのかもっ。
どうしよう。僕はこの役だけは絶対逃したくない。越前さんとの共演というのもあるけど、これは大きなチャンスなんだ。
僕は自分の軽率な行動を呪った。
「あの、インスタントですが」
とりあえずリビングのソファーに座ってもらい、珈琲を出した。ペアカップが一組だけあったのでそれで。
「ああ、ごめん。気を遣わせて」
「とんでもないですっ」
いい気候なのに汗が噴き出す。緊張でガチガチになりながら、僕は90度横のスツールに座った。
「話、聞いた? あの、オファーの件なんだけど」
やっぱりっ。いや、それしかないよな。越前さんがここを訪ねてくる理由は。
「は、はい。あの……光栄に思ってます。僕がこんな大役できるなんて、夢のようです」
とにかく先制パンチだ。もしオファーを断ってくれっていう話なら、出鼻を挫くくらいはできたかな。
けれど、予想に反して、越前さんはわかりやすく破顔した。
「そうかっ。良かった。受けてくれたんだね」
「え? はい、もちろん。断る理由はないです」
「そうか、そうだよね」
と、悦に入ったようにうんうんと頷く。頬に笑い皺が一つ入ってすごくかわいい(なんて失礼なことを思ったりした)。
「いや、三條君は売り出し中だし、こういう特徴的な役はどうかなと思ってた。話題になるし、刺激的なドラマだと思うけど、嫌がる人もいるから」
「ぼ、僕はそんなこと全く思っていません。どんな役でも体当たりでぶつかっていきたいし。何より、人を愛するのに性別なんか関係ないって思ってます!」
あ、しまった……。つい、ムキになってしまった。越前さん、元から大きな目を見開いて僕を見てる。引かせてしまったかも。
「あ、いえ。原作のファンなものですから……。それを僕の憧れの越前さんと共演できるなんて、信じられないくらい嬉しいんです」
「憧れ? またまた」
越前さんは、ふっと鼻で笑ってカップに口をつける。ソファーに長い足が余って、膝に肘をついてる。
――――めっちゃカッコイイ……。
「まさか、それを確かめに来られたんですか?」
まさかだよな。僕は恐る恐る越前さんの顔を覗き見る。
「んー。そうだね。こういうのは俺も初めてだし、相性もあるから」
テーブルにカップの乗ったソーサーをさりげなく置く。
「試しておかない? リハが始まる前に」
はい? 思いも寄らない提案に、僕はぽかんと口を開け、彼の整った顔を眺めていた。
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