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TAKE 33 嘘つき
「電話で焦ってしまってすみませんでした。社長に怒られちゃいました。おまえが慌ててどうするって」
車で迎えに来てくれた東さんがハンドルを取りながら口を忙しく動かす。言葉とは裏腹に、まだ落ち着いてないのが手に取るようだ。
地下の駐車場から事務所の車に乗って出ると、確かに芸能記者らしい人たちが数人いた。なかには普通の女性ファンっぽい人もいる。多分どちらも享祐目当てなんだろうな。
幸い後部座席に低い姿勢で座っていたからか、普通のHV車だったからか、注目得る前に通り抜けることが出来た。
――――享祐は大丈夫だったかな。ベテランの青木さんがいるから上手くやると思うけど。
「こんなこと初めてで。でも、社長はこれをうまく利用すれば、視聴者数がまた上がるって言うんです。だから狼狽えるなって。確かにそうですよね」
東さんはマネージャーになって3年目。僕が初めてついた俳優なんだ。年齢は僕より上だけど、この世界ではまだ若い方。
こういうスキャンダル? 対応は慣れてなくても仕方ない。かく言う僕も、狼狽えた。
「そう……なのかな。社長が言うなら平気かな」
「平気ですよ。第一、何も悪いことしてないんですよ? 深夜まで一緒にお酒飲んでたって、二人とも成人なんだし」
確かにそうだ。実際は、お酒飲んでただけじゃないけど。
――――それでも……悪いこと、間違ったことはしてない。だから……。
隠さなくてもいいんだよ。本当は。でも、そうはいかないよね。
「越前さんの事務所から何か言われてない?」
こんな記事を出されて、怒ってんじゃないかな。僕は東さんの言葉を待った。
「ああ。青木さんから謝罪されました」
「謝罪?」
「はい。迂闊な写真を撮られてしまって申し訳ないって。いくら親しい間柄でも、バスローブでウロウロしては誤解を生むって」
「ああ……」
さすが青木さん。真っ当なご意見を……。享祐も同じ様なこと言ってたな。だから、今後は隙を見せてはいけないんだ。きっと。
「そんなこと。まさかホテルの廊下にいるなんて誰も思わないから……」
僕は俯いて、小さくため息をついた。
「越前さんは……伊織さんのこと高く評価されてるから……きっとご自身でも『しまった』と思われてるんじゃないですかね」
今度は随分と落ち着いた声になっている。どこか、探るような口ぶりだ。
「高く評価……。そうだね。仲良くしてもらって勿体ないほどだよ。あの夜も、越前さんが翌日のシーンで思い付いたことがあるって寄ってくれただけなんだ。つい話し込んで、遅くなってしまって」
僕はつかなくてもいい嘘を並べる。それを東さんが求めている気がして。
バックミラー越しに彼が僕をちらちらと見ている。僕は大げさにため息をついた。
「酔っ払って、僕はソファーで寝ちゃってさ。越前さんも多分寝てたんだと思うよ。だから、彼がいつ帰ったか知らないんだ」
嘘と本当のことを織り交ぜて話す。バックミラーにはわざとらしく口角を上げる東さんがいた。
「大丈夫ですよ。お二人の気が合うのは願ったりなんです。だからドラマも凄く感動的だし。今回のこと、誰も非難してません。社長の言うとおり、乗っかればいいんですよっ」
努めて明るく東さんが言った。それは多分本心だろう。たとえ僕がここでカミングアウトしたところで、それも無視するつもりだったはずだ。
そんなこと、大事なことじゃない。彼らにとっては。
――――だけど、僕には大切なことなんだ。嘘なんか……つきたくない。
その日は1日中、メンズ雑誌の写真撮りだった。
カメラ目線でいくら微笑んでも、心のなかには黒いしこりがずっと居座って退くことはなかった。
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