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TAKE 36 恋心
例のネットニュースの記事を悪意で報じられることはなかった。是か非かで反応できるほど、簡単な問題ではないのがその理由だと僕は思っている。
後は感情の問題かな。僕のはともかく、享祐のファンの反応が少し怖かった。マンション前に何度か見かける人もいた。東さんは心配ないって言うけど。
ただ、享祐の事務所の対応はさすがだった。メディアからの質問には、
『越前享祐個人の交際については指向も含めて本人に任せております。現在、
お付き合いしている方がいるとは聞いておりませんのでご承知おきください』
てな感じ。知るか、そんなもん。と、突っぱねた感じで小気味よかった。
『そのような事実はございません』
なんて、馬鹿正直に受けてる僕の事務所とはその差が出てしまった。ま、これは享祐と僕の差だな。
それでも、僕らはプライベートで会うことを自重していた。享祐が映画のロケでマンションに戻って来なかったのもあって、もっぱら夜にテレビ電話をするばかり。
そのうちマンション前で張ってた記者も減り、最近ではほとんど見なくなった。あの、真壁さんもいつの間にかいなくなった。
――――もう、このマンションの中なら会ってもいいんじゃないかな。
明日の夜、享祐が帰ってくる。第九話、最終回の一個前の台本も来てるんだ。大事なシーンだし練習もしたい。
――――いや、そうじゃない。そうじゃなくて……会いたいんだ。
享祐に抱かれたい。何をしてても、彼の逞しい腕や胸板の厚さを思い浮かべてしまう。
夜、顔を見ながら電話してても、その思いを吐露しそうになって慌てるんだ。ロケ先で頑張ってる享祐にそんなアホなこと言えない。
『どうした? 今日は大人しいな』
そんな思いを抱えながら、今夜も電話してる。スマホの小さい画面に映る享祐が心配そうだ。今すぐキスしたい。なんて言えない。
「え? そうかな。最近忙しかったから」
嘘だ。平常運転だった。
『忙しいのはいいことだな。じゃ、明日も早いから。おやすみ』
「うん、おやすみ……」
明日帰ってくるんだよね。会えるかな。言いたいことを呑み込んで、僕は通話を切る。切なくて、苦しくて、涙目になる。
改めて事の発端となった、あの記者が腹立たしく思えてきた。監督はニュースになったお陰で視聴者数がグンと上がったって喜んでたけど、僕はそんなことで話題になりたくなかった……。
もちろん、それキッカケでも見てくれたら嬉しいよ? それで面白い、次も観たいって思ってくれたらなおの事。それでも複雑だよ……。
享祐が帰ってくる日。僕はスタジオで『最初で最後のボーイズラブ』を撮った。享祐が出ていないシーンばかりを先に撮る。
婚約者、『可南子さん』と対決なんだけど、『駿矢』はもう戦意喪失してて。今の僕にぴったりだよ。自嘲しちゃうくらい。
「ありがとうございました」
予定通り撮りが終わり、僕は可南子役の望月優子さんに挨拶に行った。女優さんの控室は特有の匂いがする。ねっとりした甘い香り。望月さんの性格みたいと言ったら怒られるだろうか。
「あなた、不思議な子ね」
「え? えっと……」
「顔が可愛いだけの子かと思ってたけど、演技力……。ううん、それも違う。爆発力かな」
鏡に向かっていた体を、くるりと椅子ごと回して僕をしげしげと見た。
「爆発力……」
「瞬発力とも言うかな。越前君、もとい、相馬亮に対する恋心が頭抜けてる」
褒められてるんだろうか。少し迷う。
「褒めてるのよ。貴方の演技がドラマを規格外にしてる」
「あ……ありがとうございます!」
望月さんは何かもの言いたげに右側の眉を上げる。鼻で軽く笑うとまた鏡に向き直した。
『越前君、もとい、相馬亮に対する……』
褒められたことにかこつけて。その言い直しが意味するもの、僕は気付かないふりをした。
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