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幕間 その1
越前享祐が三條伊織の部屋に突撃した時から遡ること半年前。残暑がまだ厳しいころのこと。
高層マンションの地下駐車場に一台の黒いスポーツカーが滑るように入って来た。
決められたスペースにきちんと停め、大きな体を折り曲げながら降りたやたら脚の長い男。ピタピタのTシャツから逞しい腕と胸が誇らし気に主張している。
サングラスで顔を隠しているが、端正であることは一目で見て取れた。
「ふう、まだ暑いな」
ため息とともにエレベーターホールに向かうのは、人気俳優、越前享祐だ。マネージャーの青木が一緒の時もあるが、今日は一人。郵便物を確認するため、一階で降りた。
――――ん、引っ越しか。
届いていた郵便物を眺めてると、背後で人が右往左往している音が聞こえてくる。
振り向いた視線の先に、電化製品や段ボール箱を運ぶ業者と新しい住人らしき男がいた。
――――あれ、あいつ……。
何度かスタジオで見かけたことがある。最近、色んな映画やドラマに引っ張りだこの若手だ。
モデルのようにすらっとしてスタイルがよいが、元々アクションもやっていたから体躯もしっかりとしている。そのくせ小さくて綺麗すぎる顔はどこぞの王子様のよう。
――――三條……伊織とか言ったかな。そうか、ここに越してきたんだ。
越前は、ドラマやCMで彼を知った。演技も容姿もいいが、何より生き生きと仕事をしている雰囲気に好感が持てた。自分も若い頃はあんな風に輝いていたかと、懐かしくも感じた。
その三條、自分のドラマ撮影やバラエティー番組のスタジオで姿を見せることがあった。
最初は偶然かと思ったが、何度か重なることで俄然気になりだした。いないと探してしまうこともあった。
そんな彼が自分のマンションに越してきた。
――――追ってきたとか? まさかな。
それから約半年、エレベーターホールで彼と会うことはなく時が過ぎた。お互い忙しかったし、越前はロケで長く部屋を空けていたから仕方ないが。
そんな時だ。この話がきたのは。
「どうします? 越前さんが冒険する必要ないとは思うのですが……」
「そうね。越前君の判断に任すけれど」
既にそれなりの地位を芸能界で築いている越前。仕事も途絶えることなく順調すぎるほどだ。役柄を選ぶ権利はあるだろう。
原作ありきの実写化は、話題になるがリスクがある。しかもゲイの役。事務所もマネージャーも難色を示した。
「いや、だからこそ冒険したいな。世界が寛容になって来たと言っても、ブームみたいな面もある。それを普通のこととして提示するのがこの小説のテーマだ」
看板俳優にそう言われてしまえば、反対するものはいない。監督も意欲的作品を多く世に出す鬼才、林田和樹だったため、悪くない選択だろうとも思われた。
「ただ、一つだけ条件があるんだ」
越前は口角を上げ、胸の前で組んだ指をパキパキと鳴らした。
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