幕間 その9

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幕間 その9

『冗談じゃない。ゲイなんて思われたら困るんだよ』  享祐の顔を見ることなく、言い放たれた言葉。彼にとっては暴言と言ってもいい。胸に穴があいたまま、閉じられたドアを見つめていた。  ――――そりゃ、そうだ。でも、あいつはずっと不満げだった。俺の気のせいだろうか。  こんなことなら、告白せずに『嘘の関係』でいた方がよかったかもしれない。伊織のこととなると、つい弱気になってしまう享祐だ。  あのバカ記者にスクープ? 撮られてから、それが大したことでなくてもナイーブになる。自分たち芸能人なら当たり前のことだ。  本当のところを掴まれなければいい。簡単だ。夜中に辞去した部屋が女優のなら『厚顔甚だしい嘘』が、男同士だと、『そうだよね。まさかだよね』になる。楽勝だ。  ――――けれど、伊織はそれが不満そうだった。  それならば。と享祐は思う。自分はもう、カミングアウトしてもいいと思っている。  ここまで培ったキャリアが、そんなことで崩壊するならそれも仕方ない。それだけのことだ。  享祐は俳優だけが仕事と思っていない。長くこの業界に居れば、自分の限界もわかってくる。  製作側にも興味があり、実際ショートムービーを撮って発表もしていた。もっと時間があればそっちに尽力したいくらいだ。 ――――だから、これを機に仕事が減ればそれもまた良しだ。青木は怒るかもしれんが。 『ゲイなんて思われたら困るんだ』  あれは本心なのか? 自分が感じていたものは間違ってたのか。  享祐は映画の撮影中、そんなことを考えていた。身が入っていないわけではない。演技中は集中した。  今日は某女優とキスシーンがあって感情も込めたつもりだ。越前享祐とでなく、役柄の人物として。 「越前君、最終回の台本来たわよ」  休憩中、青木が『最初で最後のボーイズラブ』の脚本を持ってきた。相変わらずギリギリだ。明後日の台本を今ってどういうわけだよ。と嘯きながら受け取った。 「なあ、俺のスケジュールって今後どうなってる? ドラマと映画が終わったあと」  自分のスケジュールなんてアバウトにしか入っていない。以前は空くことが恐ろしく、青木女史に何度も尋ねた質問だ。  今となっては詰まっているのがデフォルトになっていて、オフを心待ちにしている。 「月10のドラマ入ってるけど。夏クールの。あと単発の時代劇スペシャル。なに? 休暇はまだ先でしょ」  年に一度、3週間の完全オフを貰うようになったのは2年前、30歳になってからのことだ。  毎年夏場に設定し、旅行や自身の撮影に充てていた。今はまだ3月に入ったばかり、青木の言う通り、夏はまだ遠い。 「いや、別に。どうなってるのか聞いてみただけ」  今、もし伊織との仲を公表したら、これらの仕事どうなるんだろう。全部断ってきたらそれはそれでお笑いだなと思う。腫物に触るような現場も優に想像がついた。 「それより、ちょっと気になることがあって」  台本を持ったまま思いを巡らす享祐に、珍しく沈んだ表情の青木が呟いた。彼女は常に強気なイメージを前面にしてるので享祐は戸惑う。 「なに?」 「あの、例の馬鹿馬鹿しい報道の後、過激反応するファンの子がいてね」 「へえ……」 「ま、越前君に危害を加えるとは思えないけど、あんなのでも信じちゃう子はいるのよね」 「ふうん……でもその辺のことはちゃんとしてくれるんだろ?」 「ああ、そうね。気にしなくていいわ」 「了解。任せた」  享祐は片方の口角を上げて台本に目を戻してページをめくる。だが、その手が止まり、顔が固まった。  ――――なんだ……これは。  最終回クライマックス。台本4ページ分が真っ白だった。
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