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幕間 その15
伊織へ電話した後、越前享祐は広報部長の澤田、弁護士の風間と膝を突き合わせた。当然青木も同席している。
『それで、記者会見ではっきりさせるんだね?』
電話の向こうで、伊織がそう言った。享祐が言葉を選んで言い及んでいるのを察して、楽にしたのだ。
「ああ、そのつもりだ」
『嬉しい……』
伊織の心から漏れ出たようなその言葉に、享祐は震えた。今すぐ伊織を抱きしめたかった。そばにいれば、迷うことなくそうしただろう。
伊織は望んでいた。『秘密の関係』なんかじゃなく。誰にでも誇らしく言える関係でいたいと。
――――俺は馬鹿だ。一番大事な人の一番大事な気持ちに気が付かなかったなんて。
享祐はどんなことがあっても伊織を、伊織との関係を守ってみせる。と、改めて誓った。そのためなら、今の職を失うことなどなんでもない、と。
「君はウチの看板俳優なんだが……再考の余地はないようだね」
享祐の目の前で股を広げて座っている、澤田がため息をつく。
「ないね。この事務所には随分世話になったし、感謝してる。だけど、その恩は十分に返したつもりだ。この先は好きにさせてもらう」
隣の青木も黙ったままだが、反論をするつもりはなさそうだ。弁護士の風間も何も言わない。
「確かにね。今すぐ独立すると言われても、どうぞと送り出すくらいは返してもらってるね。ね、青木さん」
澤田はさばさばとした感じで青木に下駄を預けた。
「はい。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
青木は享祐の隣で頭を下げる。こうと言ったら聞かない享祐のことを一番わかっているのが彼女だ。
そして、享祐の可能性も信じている。このまま走り出したとしても、彼が終わるはずはないと思っていた。
――――だから、今は越前君の思う通りにさせるのが最善策。彼はまだ、この世界を去るつもりはないはずだから。
「じゃ、予定される質問は揃えておいたから。検討していこう」
自分の気持ちを正直の吐露するだけなら、何も台本はいらない。
けれど、伊織がこの先仕事を干されるのだけは避けたい。恐らく伊織はそんなことを恐れてはいない。それはわかってる。だけど、それではだめなのだ。
――――俺らの恋は、何も特別なことじゃない。俳優同士が恋愛、結婚するのは普通にあること。俺達も普通のことなんだ。だから……。
今まで通り、この社会で生きていかなければ。
「それでは、次を最後の質問にさせていただきます……そこの方、どうぞ」
澤田の声が会見場に響いた。不満そうな空気が流れたが、もう十分過ぎる時間、越前側は彼らに与えている。ここらが潮時だろう。
そして、最後の質問者は既に決められていた。これは澤田が目論んでいたことだ。
「はい。越前さん、将来的に結婚を考えられてるでしょうか。それと、最後ということなので、率直な今のお気持ちをお聞かせください」
澤田はこの会見をただの俳優同士の恋愛発覚にしたくなかった。越前享祐の人となりを正しい形で表現したい。そう思っていた。それが、今まで事務所に貢献してきた彼へのはなむけだと。
「僕は形には拘っていません。けれど、それが最も良い形なのであれば、もちろん」
一呼吸おいて、享祐は続ける。彼もまた、ここで言うべき時が来たのだと知っていた。
「僕が、『最初で最後のボーイズラブ』のオファーを受けたのは、恋愛や生き方の多様性を普通のこととして提示するのがこの小説のテーマだと思っていたからです。
そこで大切な人と出会えたのはお互いにとって幸運であり、必然でもあったのかと思えます。
今は、その人を守りたい気持ちしかありません。自分らの恋愛を特別視されるのは仕方ないと理解しますが、それ以上でも以下でもないのでご承知おきください」
会見場は、何度目かのフラッシュの嵐となった。享祐たちは立ち上がり、頭を下げると会見場を後にする。それを追いかけるように、また無数のフラッシュが瞬いていた。
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